源頼朝の尊皇心

 

源頼朝は鎌倉幕府を開いた武家の棟梁ですが、尊皇心が厚かったことで有名です。

 

とくに、「吾妻鏡」という幕府が編纂した歴史書によれば、

「綸命に違背するの上は、日域に住すべからず」(天皇の命に背く者は日本から出て行け)

と命令したと書かれています。

※『吾妻鏡』文治元年(1185)6月16日の条にあります。
 

文治元年の夏、尾張国の玉井四郎助重という乱暴者が、勅命にそむき召喚されたが、出頭せず、かえって朝廷を誹謗したので、頼朝公は「綸命に違背するの上は、日域に住すべからず。関東を忽緒せしむるに依りて、鎌倉に参るべからず。早く逐電すべし」(勅命にそむく以上は、日本国に住むことは許されない、幕府の指示に従わない者は、鎌倉へ来て保護を受けることはできない、早く出て行くがよい)と命じたそうです。

 

これ以外にも内裏の建築費や、伊勢神宮の式年遷宮の費用も進んで引き受けたとされています。

 

こうした尊皇心を教育されていない現代人からすれば、すぐに信じられない話かもしれません。

 

しかし、朝廷を守護するのが将軍の役目であるとし、朝命に従わない者は日本から出て行くよう断じた、頼朝公の精神は、その後の日本の武家のあり方に多大な影響を与えたといえます。