鶴岡八幡宮の参拝

 

先日、鎌倉にある鶴岡八幡宮に参拝しました。

 

 


源頼朝公は「朝の大将軍」と自称し、武人の務めは朝廷(みかど)を守ることにある、という大原則を示しました。

 

頼朝公の言行が書かれた、九条兼実の日記「玉葉」(建久元年11月9日条)には「八幡の御託宣により、一向君に帰し奉る事、百王を守るべしと云々」とあり、頼朝公が、八幡神のご託宣によって、天皇を守る使命を強調していたことが書かれています。

 

第三代大将軍となった子、源実朝公も「山は裂け 海はあせなむ 世なりとも 君にふたごころ わがあらめやも」と後鳥羽上皇への忠誠を誓ったとみられる和歌を詠まれています。

 

時代は下りますが、江戸時代、大日本史を編纂した水戸藩主・水戸光圀公も、中世鎌倉の史料収集のため自ら鎌倉へ赴かれています。

その水戸藩で水戸学のもとに育った、最後の将軍慶喜公は、明治天皇に大政を奉還し、王政復古の実現へと至りました。

 

こうしてみますと、武士の棟梁たる将軍本来の役割が朝廷を守ることにある、という頼朝公の思いが600年の歴史を通じ、最後は水戸学へと貫かれているように感じられました。

 

なお、頼朝公の墓、鎌倉幕府の跡地、頼朝公像なども訪れました。