今までの常識を疑うこと

 

私が「今までの常識を疑うこと」の大切さに気付いたのは大学3年のときでした。

ここでいう「常識」とは、「一見、常識として通用しているもの」にすぎず、本当に正しいかどうか分からないものも含まれます。

 

たとえば、「地球温暖化の原因はCO2なので、CO2を削減しなければ異常気象や海面上昇が起きる」として、温暖化対策としてCO2の削減や、脱炭素、カーボンゼロの推進を主張する勢力があります(CO2脅威論)。

 

これは、一見常識として通用しています。

しかしながら、これに対しては有力な反対意見があります。

 

キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志氏の令和2年10月付、「ワーキング・ペーパー(20-007J)地球温暖化ファクトシート 第2版」

https://cigs.canon/article/20201125_5488.html

 

たとえば、「日本全体で 2050 年に CO2 排出をゼロにしても、気温は 0.01℃も下がらず、豪雨は 1 ミリも減らない」と主張されており、理由は、温暖化はゆっくりとした僅かな変化だから(100年で0.7℃)、日本の排出量は世界の内で僅かだから(2.7%)とあります。

 

日本全体で 2050 年に CO2ゼロを達成することによる気温の低下は、何と「0.0065℃」に過ぎないと計算されています。

 

ほかにも、海面上昇は僅かでゆっくりである、シロクマは増えている、気候災害による死亡は減り続けている、などと従来の「常識」とは異なる事実が指摘されています。

 

こうした反対意見を直ちにうのみにするかどうかはともかく、こうした統計データを基にした有力な反対意見があるということは、常に意識しておいた方がよいでしょう。

 

そして、まるで反対意見など存在しないかのごとくに、カーボンゼロを第一目標にして突き進むのは、非常に危険なことだと思います。

 

こうした既存の「常識」と異なる意見に対しても、その証拠や根拠を見て検討し、異なる考え方を受け入れる余裕をもつことは非常に大事だと思います。

 

私は、従来の「CO2脅威論」は疑問であり、2050年までのカーボンゼロ目標もその効果が不明確であって、かえって産業・国民生活を損ない、国益に反するのではないかと思います。他国の動向も慎重に見極める方がよいでしょう。

 

こうした従来の「常識」「当たり前だと思っていること」を疑い、その合理的な根拠を示していくことで、国会や各地の市議会でも、議論が活発化し、正しい情報とは何か、真の国益は何かといった議論が期待できると思います。