なぜ日本だけアジアで西洋の侵略から防衛し得たか

 

日本がなぜ、アジア諸国のなかで西洋の侵略に対し、植民地とならずに国家を存続し得たのでしょうか。

これは本当は日本人が「自国の強み」として学ぶべき内容ではないかと思います。

 

この問題に対し、明治神宮編「大日本帝国憲法制定史」では、民族的統一結集の核としての「天皇」に思い至ったことを挙げています。

 

他のアジアの国々では、身分や階級、種族、王朝派と反対派など、社会対立と分断の壁が著しかったですが、日本では、天皇と反天皇派に強く分断されることはほとんどなく、特に、外国の侵略に対しては、「尊皇」の意識のもとに、結集することができたと指摘しています。

 

この指摘は、日本の国防の成功の要が「天皇」の御存在であるという指摘であり、真剣に検討すべき内容を含んでいます。

確かに、白村江の戦い、蒙古襲来、スペインポルトガルの来航、幕末、大東亜戦争と、日本の外国侵略に対し、いつの時代も、朝廷が国民を一つにまとめる重要な役割を果たしてきました。

 

そうなると、皇位継承の問題も、国防の歴史という軸から見た場合には、我々の民族・国歌としての存立がかかっている問題と言わねばなりません。

 

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「このヨーロッパやアメリカのアジア征服に対しては、アジアの至るところで当然に抵抗(日本流にいへば攘夷)の思想が生じ、先覚者たちがそのために必死の努力をしたけれども、日本以外はどこでも例外なく敗残の悲史を残すにとどまった。…アジアの前近代的な社会には、どこでも身分的階級的な条件や地域的種族的な条件での社会対立と分裂の壁がいちじるしく、人民を一国民として統一するだけの強い社会意識の核がなく、その抵抗攘夷の思想をもつ社会勢力を統合させるナショナリズムを形成させることができなかったからである。
ただアジアの諸民族のなかで、日本のみがその例外として光栄ある独立を守り得た。
日本には、ほかの民族と違って、あらゆる地域的身分的階級的な対立の鉄壁を超えて、全民族を一つの国民として自覚させうる精神文明の根づよい温床があった。それが「尊皇」といふ意識であった。攘夷の思想者たちは、列強の暴圧に対抗するための民族的統一結集の核として「天皇」に思ひいたり、その日本的文明の本質を再確認するとともに、この文明の高揚こそが日本人としての最高の問題なのだと思ふやうになった。
日本の直面した国際的危機を克服するのには国民精神の統合者たる天朝の力によらねばならないとは、吉田松陰のような先進的志士ばかりでなく当時の一般国民の良識であり、徳川幕閣の重臣すらもがみとめたところであった。」(明治神宮編、大日本帝国憲法制定史調査会著「大日本帝国憲法制定史」(サンケイ新聞社、昭和55年3月)20~23頁)