自由が生まれる源

 

『真の意味の自主独立とは何であるか。

それは永遠と全体とのために身を捧げることを云ふのである。

 

永遠と全体とのために身を捧げる態度は確信に満ちたものであるからして、それは如何なる事態に当っても動じないのみならず、また進んで人を動かし歴史を創造して行く建設的行為となって表はれるのであって、かくのごとき行為となってはじめて敵味方の尊敬に値するのである。

 

自主独立とは自ら永遠と全体とに参与し、その建設の責任を負ふことを意味するのであって、かくのごときものであってはじめて、真に周囲の尊敬に値し、権威を確立し、自己の力を以て自由を享有することが出来るのである。

 

従来の米英的自由主義が誣ひたやうに自由は法律上の権利主張によって獲得せられるものではない。

真に自由を享有せんとするものは自ら正当なる力を養はなければならない。』
 

以上、大日本言論報国会「大東亜共同宣言」(同盟通信社、昭和19年4月)100~105頁(大串兎代夫著作部分)より引用

 

 

自主独立は、周囲の尊敬に値する確信に満ちた行為から生まれる、という一節です。

昭和30年に名城大学学長となられた大串兎代夫教授(国家学・憲法学)の書かれたものですが、

西洋由来の考え方をなぞるのではなく、日本の考え方を堂々と主張されています。


西洋由来の法律学では、自由は、自己の権利主張によって獲得するものだという見方をしています。

しかし、本当はそうではない、永遠と全体に身を捧げ、確信に満ちたものであるからこそ、敵味方の尊敬に値し、自由と権威を確立することができる、ということです。

 

民族の独立運動は、皆このようにして自主独立を獲得していったのです。

(「大東亜共同宣言」はアジア諸国の独立の大綱として昭和18年に採択され、上記文献はその解説文です。)

 

「永遠」は子孫のため、「全体」は日本のためと置き換えることができます。

誰であれ、子孫のため、日本のために、身を捧げて取り組む姿は、見る人の心を打つものがあります。

しかもそれが、確信に満ちたものであれば、なおさらです。

そのために、道を譲ろう、応援しよう、という気持ちになります。

 

味方からも敵からも尊敬に値する、民族の将来のための、強固な確信がある。

その尊敬から、自由や権威が自然に生まれ、民族の独立に至る、という根源の話をされています。

 

戦前の文献ですが、こうした気迫ある日本人の法律家の文章は、改めて新鮮な気持ちになります。