差別禁止法案(条例案)の思惑

 

最近、自治体で差別禁止の条例案が提案され、可決される例が相次いでいます。

・千葉県多様性が尊重され誰もが活躍できる社会の形成の推進に関する条例(千葉県)

・相模原市人権尊重のまちづくり条例(相模原市)

・渋谷区人権を尊重し差別をなくす社会を推進する条例(渋谷区)

 

共通するのは、「差別禁止」という概念です。

差別禁止の対象は、条例によって異なりますが、男女、性的少数者、障害の有無、国籍(外国人かどうか)などによる差別を禁止し撲滅しようというものが多いです。

 

我が国は日本国憲法14条1項でも、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定められています。

 

ところで、差別禁止は、常に相対的なもので、絶対的に貫徹することが不可能なものです。

我が国の最高裁判決は、憲法14条の平等とは、「合理的理由のない差別を禁止するもので」であり、「各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り右規定に違反するものでない」と解釈しています(最高裁昭和39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁, 最高裁昭和48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3 号265頁等)。

 

男女・障害・国籍など、いくら同じように扱うといっても、現実には明確な違いが存在します。

最高裁は、現実に存在する「差異」(違い)に応じた合理的な区別は、差別ではなく、合理性がないものは、差別である、という解釈なのです。

そして何が「合理的」なのかは、一概にはいえず、「その国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならない。」とされています。

したがって、一口に、差別を禁止するといっても、何が合理的な区別で、何が差別なのかは、大変難しい問題なのです。これは、人それぞれ考え方も違うでしょうし、国ごと、地域、世代によっても異なるかもしれません。

 

また、何を「合理的な区別」とみるか、みないかで、誰かの利益になり、誰かの自由が損なわれる、トレード・オフの関係にもあります。

差別禁止と言っても、その背後にある思惑や利害により、全然異なる結果を生むことになります。

 

例えば、ワクチンを接種したかどうかで差別してはならない、マスクを着用しているかどうかで差別してはならない、という命題は、新型コロナのときには、事実上守られませんでした。しかし、多くの条例では、ワクチン接種やマスク着用による差別禁止は対象外になっているようです。

 

また、外国人かどうかで、公務員になれるかどうかという点を差別という人もいるかもしれません。しかしこれは、その国の国家主権を守る観点から、国籍のある人に限っているわけです。しかし、国籍による差別禁止を強調することは、その国の国家主権に基づく「区別」を「合理的」かどうか追求する圧力をかけることになり、「国家主権」「国民」に圧力がかけられます。

 

あらゆる差別を禁止する、というと一見して聞こえがいいように思いますが、実際には、特定の区別だけを取り上げています。そして、特定の思惑をもって、差別禁止が主張されていることがほとんどです。

 

男女差別禁止という主張は、女性の権利の拡充を求める思惑もあるでしょうが、他方で、歴史的には、一部の者の意図としては、婚姻や妊娠の自由の拡張、さらにはその国の人口の抑制といった思惑でも用いられてきました。

 

外国人差別禁止というとき、外国人の権利の拡充を求める思惑もありますが、他方で、その国にいる国民の権利や、国家主権の減退を求める思惑もあるかもしれません。

 

このように、特定の差別禁止を強調する流れの背後に、どのような思惑や利害があるのか、を考える必要があると思います。