原爆投下を持ち出す広島県弁護士会

 

広島県弁護士会は、令和6年2月13日付で「広島市長の職員研修資料への教育勅語引用に反対する会長声明」と題する会長声明を発しました。

その中には次のような一節があります。

 

「広島では、第二次世界大戦において、1945年8月に原子爆弾が投下され、同年のうちに14万人が亡くなったと言われている。今でも、原爆後遺症に苦しむヒバクシャが多数存在する。戦争の歴史、その背景を理解し、平和都市広島の市長としてふさわしい言動がなされるべきである。」

 

 

 

アメリカ軍が昭和20年8月6日午前8時15分に原子爆弾を投下し、14万人以上の無辜の広島市民を殺傷させたことは事実です。そして今でも原爆後遺症に苦しむ被爆者が多数おられるのも事実です。

 

そしてこれは、アメリカ軍による、当時の戦時国際法のみならず人倫・人道に反する重大な人権侵害、民間人への無差別虐殺であり、世界史に残る戦争犯罪であることもいうを待たないことです。

(森下忠「国際刑法の窓(2)──原爆投下は人道に対する罪」(判例時報 No.2308 平成28年12月1日号)など)

 

私は、遺憾ながら、このアメリカ軍による日本の民間人・非戦闘員に対する戦争犯罪を正当化する、いかなる理由をも知ることができません。

戦前、日本が教育勅語を用いていたら、日本がアメリカに宣戦布告をしたら、あるいはまた、広島市長が「ふさわしい言動」をしなければ、アメリカ軍による原爆投下が正当化されてよいのでしょうか。

私は、決して、そんなはずはないと思います。

 

では、広島県弁護士会が、広島市長の教育勅語研修使用の件に反対を表明するために、わざわざアメリカ軍の戦争犯罪である原爆投下に触れた理由は何なのでしょうか。

 

教育勅語を排除する衆参両院での決議は、占領下で、アメリカ軍が強制したもので、日本の自由な意思によるものではありません。

日本国憲法も、占領下でアメリカ軍が草案をつくって作成を指示したものであり、日本の自由な意思によるものではありません。

 

だから、日本国憲法の論理が本当に正しいか、教育勅語を本当に排除すべきだったか、見直しが進んでいます。

アメリカ軍が占領下に、実力で、強制させた物事は、必ずしも正しいとは限らないのです。

 

そうした目で、虚心坦懐に歴史を考えてみるべきではないでしょうか。

 

広島県弁護士会は、アメリカ軍が原爆投下をした戦争犯罪を、教育勅語に反対する理由として、持ち出す必要はあったのでしょうか。

アメリカ軍がした原爆投下という大虐殺は、「広島市長としてふさわしい言動」とは全く関係なく、いかなる理由であれ、正当化することができません。

 

広島県弁護士会は、教育勅語に反対する理由の中で、米軍の原爆投下を持ち出した真意を説明すべきだと思います。