国防勉強会(第39回・戦後の教育改革)まとめ

 

本日は、「戦後の教育改革」について議論しました。

 

1 戦後の教育改革は、GHQの民間情報教育局(CIE)が「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に基づき、日本人に戦争犯罪の贖罪意識を植え付け、日本を二度とアメリカに歯向かわない国にするために行われました。
 

2 GHQの四大指令により、国家・軍事・宗教・修身の教育を禁止し、国史地理から日本の価値観を除外し、反対教員を追放する仕組みのもと実行しました。アメリカの教育使節団報告書を基礎にしつつも、日本側の自主性を意識させるため、日本にも教育刷新委員会をつくらせ、舵取り委員会で承認した案件だけを審議させ、文部省に法案を指示する形式がとられました。


3 CIEは、日本人の行動指針を示した教育勅語は排除させ、国家や伝統を排した個人主義に基づく教育基本法を作成させました。学校制度も、複線から単線型にし、文部省の権限を各地の教育委員会に移管させて権限を弱め、社会科で個人の権利を主張させ、教科書も国が単独で決定できなくさせました。階級闘争を行う教員の組合を組織化したり、日本から国語を奪おうとさえ考えたりしました。


4 この教育変革は、日本が軍部の暴走により無謀な侵略戦争に至ったという「太平洋戦争史」をもとに再生産され、民主化・自由化・個人化が必要という刷り込みが繰り返された結果、占領が終わった後も、より混迷の度合いを増しています。文部省は学習指導要領を作成しますが、教科書は民間に作成させ、教育委員会が人事と教科書採択権を有し、学校や教員の裁量が大きく、組織化された組合が教育や政治に介入し、権限が分散解体されており、戦後の教育政策のほとんどが、根本的な問題を解消することができませんでした。
 

5 日本の教育を改めるには、戦後の教育改革がCIEの悪意によって始まった事実を共有し、国が全責任をもって教育をやり直すことが必要だと思います。

 

以下、文部科学省の「学制百年史」のウェブサイトにある記述です。

戦後の教育改革は占領政策の一部であったので、それらがすべてわが国独自の方策によるものではなかった。」

「総司令部の民間情報教育局(CIE)は報告書の趣旨を実現するため文部省と協議して具体的な方策を立てることとなった。CIEは政府および文部省の教育方策について助言し、協力し、その実施に当たっては背後において大きな力をもっていた。」
「文部省は場合によっては実施に当たってはなはだしい困難に当面しなければならないこともあったが、これから占領解除となるまで、CIEの助言・指導なくしては教育関係法案は勿論、実施の方法も決定することはできなかったのである。」

 

(参考文献)

山村明義「GHQの日本洗脳 70年続いた「支配システム」の呪縛から日本を解放せよ!」(光文社、平成26年7月20日)
沖田行司「日本国民をつくった教育ー寺子屋からGHQの占領教育政策までー」(ミネルヴァ書房、平成29年1月30日)
椛島有三・江崎道朗「戦後教育を歪めたGHQ主導の教育基本法」(明成社、平成18年8月1日)
江藤淳「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文春文庫、平成6年1月、原書平成元年8月)
松永暢史「この国をダメにした学校教育」(主婦の友社新書、平成24年3月10日)
山本正身「日本教育史 教育の今を歴史から考える」(慶應義塾大学出版会、平成26年4月25日)
文部科学省ウェブサイト「学制百年史」