新しい憲法ができたときの社会状況

 

明治22年(1889)2月11日に新しい憲法がつくられたときの社会状況が書かれた、大変興味深い文章があります。

 

(以下引用です)

”一たび憲法が制定発布され、立憲政体が確立されると、前日まで死を以て争っていた者も、たちまち忘れたかのように、まことに和気あいあいとしている

 

これは我が国が2500年以上続く国家観念によって作られた、我が国民の美質がそうさせるのである。

 

また国民は藩閥政府に対して怨みを抱いたとしても、皇室に対しては一切これを持たなかったことの明証である。

 

野党が憲政の樹立を得て、その志をほぼ成し遂げたことを祝し、まるで百戦より凱旋した兵士のようにこれを歓喜し、国民がまるで敵国を降伏させた勝利を祝するかのように両手を額に当ててこれを慶賀し、国中を挙げてことごとく、陛下のお幸せを喜ぶものばかりであった。”

(引用以上です)

 

「和気あいあい」「歓喜・慶賀」「陛下のお幸せを喜ぶものばかり」

これが明治憲法発布時の社会状況でした。

 

憲法ができたことによって、国内の対立も忘れ、ひとつにまとまる、そのような理想的な状況が描かれています。

しかも、この文章は自由民権運動の闘士、板垣退助氏の「自由党史」(明治43年3月)の一節です。

 

このような憲法を、新しく作ることができればよいと思います。

 

参考:憲法発布式祝祭図(文化遺産オンライン)