対米英宣戦布告の理由

 

今から82年前の本日、昭和16年12月8日、開戦の詔書が渙発(かんぱつ)され、アメリカ・イギリス両国に対し、日本は宣戦を布告しました。

 

日本が宣戦を布告した理由は、既に10年以上前から日本との戦争計画を立てていたアメリカが、日本に対し、蒋介石を軍事的・経済的に支援することによって支那事変の解決を妨害し、日本の石油の約9割の輸入先であることを奇貨とし、通商条約の破棄、徹底した経済封鎖を行って日本の生存を危機に陥れ、平和的交渉に対しても一切譲歩せず、支那からの全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄という、屈辱的な条件を強制したためです。

 

これは、開戦の詔書、帝国政府声明、また東條英機首相のラジオ放送による決意表明などに書かれています。

 

万一、日本がアメリカの要求を受け入れた場合、日本の対外的な権威は失墜し、自滅の道へ進んだことでしょう。

 

それだけでなく、たとえ日本が譲歩しても、アメリカが日本との戦争をあきらめたかどうかも分かりません。

 

アメリカは既に、日本が宣戦布告する前に、昭和16年11月28日、空母エンタープライズに戦闘命令第1号が発せられ、11月30日、アメリカ海軍は、日本の艦船及び飛行機を発見次第攻撃するよう戦闘命令を下していました(平泉澄「日本の悲劇と理想」2頁、122頁)。

 

また、アメリカは、12月2日、ベトナム沖に偽装軍艦3隻を、日本軍の活動すべきインドシナの前路に派遣する極秘の私信による命令を下しており(ケンプ・トーリー海軍少将「ラニカイ号の異様なる任務」米国海軍学会紀要1962年9月号70~83頁)、この艦船をわざと沈没させ、日本から攻撃を受けたとして開戦の口実にする計画ではなかったかと言われています(平泉澄「日本の悲劇と理想」3頁、122~123頁、中村粲「大東亜戦争への道」622頁)。

 

アメリカの戦争目的は、日本の軍備を撤廃し、日本を独立国として再び立つことができないようにするものでした(来栖三郎「日米交渉の経緯」)。

 

したがって、結果的にみれば、東アジアで勢力を拡大した日本が、アメリカによって計画された戦争を回避することは、はなはだ困難であったと思います。

 

戦争は相手国から仕掛けられることもあります。日本が戦争をすべきでなかったという方は、本当に日本が対米戦争を回避できる状況にあったのかを、よく調べた方がよいのではないかと思います。
 

82年前の時代にさかのぼって、当時の我々の祖先の立場にたてば、日本が自存自衛の戦いを強いられるに至ったことが、真実ではないかと思います。