天業恢弘

 

「天業恢弘」(てんぎょうかいこう)とは、「八紘為宇」の建国の精神と並んで我が国の建国の理想を示すきわめて重要な言葉として、日本書紀で用いられています。

 

橿原神宮ウェブサイトでは、「天業恢弘」について、「天子の事業を推し広めようとすること」を意味すると説明されています。

 

初代神武天皇は東征を始めるにあたり、大和(奈良)の橿原こそ、国の中心であり、国づくりを始める場所だと確信します。

 

「余(あれ)謂(おも)ふに、彼の地は必ず天業を恢弘し、天の下に光宅するにたりぬべし。蓋し六合(くに)の中心(もなか)か。厥の飛び降りし者は、謂ふに是饒速日(にぎはやひ)か。何ぞ就(ゆ)きて都せざらめや」

(日本書記・巻3)

 

そして、饒速日(にぎはやひ)を降伏させ、「八紘為宇」の精神のもと、橿原の都で即位します。

日本は今も、「八紘為宇」の精神のもと、「天業恢弘」のさなかにあります。

表現は時代によって変われども、民が幸せで、一つの家のような国が理想とされてきたことに変わりはないと思います。