GWの前半戦、みなさんはいかがお過しでしょうか?

 

冬が終ると同時に、やれ「夏日」だの、「30度」だの、「熱中症に気をつけましょう」だのと、やれやれ、最近の小児科で感染症に季節感がなくなってきているのと一緒で、四季の移ろいが情緒である日本も、異常気象というか、異常季節ですね。これまた諸悪の根源は地球温暖化なんでしょうね(かの大国の大統領は、そもそも温暖化などないと!おっしゃってますが…)

 

GW前の診療はといえば、

インフルエンザシーズン中ほどではないにしろ、毎日100件程度で、もはや「季節物、閑散期」は小児科的死語になりつつあるのでしょうか?

「ヒトメタニューモウイルス」なんて、一般の人が一度は聞き返す名前のウイルスが(結構な)流行で、保育園児から障害をお持ちの20-30歳台の患者様まで、結構な高熱と3-4日間の点滴通いなど、意外に大変でした。

 

そんなで診療所はカレンダー通りの営業で、世の人のように大型連休とはいかず、

前半ちょっとだけ出かけてみました。

 

4月29日 昭和の日に:

小生のご先祖様が眠るお墓が、兵庫県丹波市柏原にあり、随分と久しぶりのお墓詣り、そして柏原の町並みを楽しみに行ってきました。

 

 

(車内は娘達のK-POPが延々と続き)ゆっくりの車で2時間と意外に「近しい」距離で、やっぱり来ようと思えば簡単に来れる距離ですね。先祖を大事にしてない、不信心ものと自省・猛省しました。

 

それにしても普段の市街地生活と違い、まさに日本の原風景、昔話みたいな風景もみられました。

とっても天気がよかったこともあって、木々の若葉の緑がまぶしいくらいでした。

 

 

そして、随所に見られる(大好きな「トトロの森」を彷彿とさせる)自然の美しさに感激し、森の精なんているのかな、人間も生態系の一部でしかないのだな、すっかりジブリの世界観に洗脳され「しみじみ」しました。

 

 

このお墓は、以前のブログ「メガネで辿るマイ・アーカイブス」にも書いた、私の「丸メガネ」つながりの(一度は出会ってみたかった)祖父が眠るお墓で、石碑に刻まれた「享年36歳(南太平洋の海に眠る)」の文字を見て、我が父を含めた3人の幼子を残して死に行くつらさはいかほどであったかと、改めて涙がでました。

 

そんな父の思いを知ってか知らずか、墓地の周りの小川で「生きも(!)」を追いかけてハシャイでいる愚娘達を見て、先人のお陰の平和な現世を感謝しました。

 

 

墓参りの後は、折角なので、織田家ゆかりの城下町「柏原」を散策してみました。

 

祖父を全てを知る最後の人であった大叔父が平成12年の最期まで過した家屋が今は綺麗な和菓子屋になっていて、時の流れを感じました。

 

 

この町では、すれ違う人波は少ないけれども、歴史と情緒を随所に感じ、そして、ここにもあった、かつての賑わい、ひとの息吹、そして先祖は何を思い、何を感じて暮らしていたのかな…と、再び「しみじみ」しました。

 

 

その後は、はち切れそうになりながら、ボリューム満点の郷土料理を平らげ、食後の運動にと、

まずは有名な巨木「大けやき」を見学しました。

 

 

そして、トトロの森のような「柏原八幡宮」の長い階段を足に乳酸溜めながら(運動不足!)上り、娘達は「願掛け(何の!?)」、私と妻は「厄よけの鐘撞き」をしたりと、健康的で、そして少しさわやかな風も感じながらの散策となりました。

 

 

久しぶりの土地を訪ねてみて、やはり、忙しさにかまけずに、時々は心を落ち着かせ、先人に思いを馳せ、そして感謝し、自然や人間の「輪廻」を感じることも必要だと改めて思いました。

 

家族にとってもちょっとした息抜きと気分転換にもなってよかったです。

 

街角にあるおしゃれなカフェでくつろいでからの帰宅となりました。

 

 

4月30日:

前日、田舎でトトロの森(!)を見たからではないのですが、少し前から制作し始めていた、「大きな」「立体的な」「リアルな」トトロの作製をちょっと加速させました。

 

これまでとは違い、全く何もないところ(標識用の三角コーンと新聞紙だけ)からの制作となり、今回もやっぱり妻との共同制作となりました。

 

 

「東北(青森)のねぶた」さながらのハリボテで、トトロの丸みや微妙な表情など、かなりの調整を必要としましたが、基礎は完成し、あとは塗装その他の工程を待つばかりとなりました。完成をお楽しみに!(診療所に設置します)

 

 

東北と言えば、仙台地方にいる姉と長年会っていない妻は、このGWに久しく出会うチャンスがあったのですが、実現せず残念でした。それでも遠くから親しみを込めて思いを馳せていることでしょう。

 

その他の近しいもの:

ちょうどマスコミでは、日本からも「近しい」隣国、韓国と北朝鮮の首脳が、南北境界線をはさんでの対決姿勢から一転、友好的な様子で境界線を跨ぎ、握手や抱擁をしているニュースが飛び込んできました。その当事者のコメント、

 

「こんなに近いのに、なんと長い時間がかかってしまったのか」と

 

これが真の友好につながる道の始まりであればいいのになあと、K-POP大好きの現代っ子の娘達をみていると思います。彼らの未来には「本当に近しい」東アジアになって欲しいなと思います。

 

最後に:

「近いだけで、心は遠い」関係は、どの場面やどの領域においても、寂しいことです。世の中の、「近いけど遠い」いろいろな物や人間関係が改善し、子どもも大人もみんなが笑顔で「近くて近い」ばかりの世の中になって欲しいですね。

 

みなさんも、GW後半に向けて、久しい物や人を思い出して、ちょっと連絡取ったり、会ったり、出かけたり、そのためのアクションを起こしてみてはいかがでしょうか?

 

M.A.