春から流行が続き、さらに罹患児が増えているアデノウイルス(別名プール熱)、そして、梅雨なのに雨が降らないので、雨に似合うアジサイをすっ飛ばして、花壇で成長中のひまわりのつぼみが顔を出し、日差しと併せて既に夏色ですね。

 

週末、木曜日午後からお休みを頂いて学会で大阪に行ってきました。

 

 

毎年この時期恒例の小児神経学会で、こどもの神経、発達、などの臨床やサイエンスを勉強する会です。久しぶりに通える場所での開催で、早起きをして参加しました。

 

梅雨入りなのに、「雨はいずこへ〜」でナニワはほんまに暑かった〜

 

今回は、少し内容を絞って講演を聞いたりポスター見たりでした。てんかんに関する包括的管理についてのシンポジウムなどで、てんかん児の認知、行動の問題点など、普段の診療で感じている様々な点をいろいろと整理できましたし、久しぶりの重症心身障害のセッションを聴いて、普段やっているボトックスやバクロフェン髄注の演題など、普段の体験と併せて話が聴けてよかったです。

 

しかし、やはり時代のニーズでしょうか、学会の至る所に「発達障害」のセッションや内容が盛りだくさんで、こどもの発達を見ていく小児科医にとって、ここは避けては通れない分野ですね。

 

全国には多くの先生方がこのような患者さんに日々向き合っているのだなと、会場に溢れて立ち見がでるほどの盛況振りを見て思いました。

 

当診療所でも、日々多くの発達相談を受けています。ことばの遅れ、運動の遅れ、から、コミュニケーション困難、落ち着きのなさ、集中できない、読み書き障害、学習障害、協調性発達障害などなど、さまざまなパターンが見られます。

 

これだけ多彩な相談にも、患者さんそれぞれが違う特徴や性格を持っているのだから、[病態の種類]×[こどもそれぞれの特徴]=[めちゃめちゃ多くのパターン]となります。そうなると平凡で問題のないこどもよりも、平凡では済まされないこどもの種類の方が多くなってくるのではと、どちらが多数派・少数派なんて、分からなくなりますね。

 

「真ん中ぐらい」が何となくイイ、こんな無難な発想が世の中に横たわっているような気がして、特に教育や子育ての中でこの「ニュートラル」意識が足枷になってしまっているケースによく遭遇します。

 

「何の中のニュートラル?」「どこからどこまでの間のニュートラル?」「ある集団のニュートラルを意識しても、そもそもその集団は偏ってないの?」「真ん中が、正しいのかどうかも?」、こんな風に考えざるを得ない程、今の世の中、実はいろいろで、多彩で、幅があって、帯状、グラーデーション…、そうそう、これが「スペクトラム(意見・現象・症状などが、あいまいな境界をもちながら帯状に連続していること)」という考えじゃないか。なんて、当たり前だけど、考えれば考えるほど、「ニュートラル」論では説明できないことだらけです。

 

発達に関心のある方や、お子さんの発達が気になるお母さん達は、一番言われたくない病名の一つに、「自閉症スペクトラム」があります。これまでの古典的な自閉症や公汎性発達障害、アスペルガーなど、類縁する病態を大きく囲ったような用語として、発達障害の分野ではよく使われる様になってきました。いろいろ多彩で、みんな少しずつ違うんですよ」と言う本来の意味では、この幅を持たせた用語は適切であることも多いです。しかし、

「ことばなど理解が少し遅いですね(発達遅滞、知的障害)」や「落ち着きがないですね(多動)」「この子全く集中できないんです(注意欠陥)」という指摘よりも、よほど言われたくない、絶望的な響きと烙印的な雰囲気があるようで、本来の意味を説明しないと誤解されがちです。

 

そもそも人間それぞれが違っている、それぞれの家族が居て、それぞれがいろんな出会いと体験があり、それぞれが違うコースを辿り、全てをかけ算すると、天文学的なパターン数となります。そもそも、「人間(は、そもそも)スペクトラム」と考えることがまず大事で、この「人間スペクトラム」の中に「オーソドックス(平凡)な人」「(非オーソドックという意味で)ユニークな人」に別れ、後者の中に、(1)「幼いときだけの特徴の人」(2)「いろんな理由でそうのように見える人」(3)「性格としてそうなっている人」がいて、それ以外に(4)「持って生まれて、これからもずっとユニークな人」が居て、この最後の(4)の人たちが、今、社会や教育の現場で特別を必要としていたり、別扱いされてしまっていたり、のいわゆる発達障害に近い人たちなのでしょう。人間がそもそもスペクトラム状であることを忘れてしまうと、(1)〜(3)を簡単に障害として考えてしまう過ちを犯してしまいます。

 

つまり「ニュートラルはどこか?」こんな発想を捨てて世の中をみないといけませんね。これは、発達の世界だけではなく、私たちの生活の多くの場面にも通じることです(政治も!社会も!)

 

以前に、ある心理の先生から、毎日いろんなケースと向かい合っていると、自分の立場がニュートラルに保てないから、心理士もときどき師匠の元を訪ねて、自分をニュートラルに戻す事(カウンセリング)が大切と聞きました。確かに、相談を受ける側がニュートラルに居る事は、心理カウンセリングではとても大事なことですね。

 

しかし、こと発達相談においては、そもそも多彩なものを相手にするので、必ずしもこちら(聞き手)が世の中の真ん中(ニュートラル)でなくてもいいのではないかと最近特に思います。聞く側にも偏りがあってもいいのではないか?考えもひとそれぞれなので、意見が合う合わないはそれぞれで、そこから取捨選択すればいいのですよね。

 

何だかまとまりのない話になってきましたが、つまるところ、こども発達のことをいろいろ考えていると、どうしても無難に「真ん中」を意識し過ぎてしまうということ。大人がこの発想から離れるのには時間と努力と忍耐が必要です。

 

そんなこんなで、学会は大変勉強になり、いろんなモチベーションを得て帰宅しました。日々の診療に没頭している状態から、脳をクールダウンや整理をして、熱量的にニュートラルに戻せたので、明日からの診療にそのモチベーションをつぎ込みたいと思います。

 

休みを頂いている間に、診療所は大掃除に入ってもらい、3年間の「灰汁

(あく)」を除き、すっかりピカピカになり、ニュートラルになりました(注:もちろん普段も掃除してますが…)

 

 

我が家では、暑さにとっても弱いへなちょこ犬「はじめ君」も、汚れと臭み(!)を落としてもらって、しっかりニュートラルに!

 

 

みなさんの真ん中(ニュートラル)はどんなですか?

 

M.A.

 

追伸.

 

完成したトトロの掲示板

トトロの身長当てクイズに多数応募いただきました。正解は202.5cmでした。

写真に示す、カルテ番号とイニシャルの方にプレゼントを用意していますので、受付でお受け取りくださいね。

 

 

当選者は以下の方々です!