この週末、小児科入局の同期の集まりがあり、加古川で食事をしました。
スケジュールの関係で、全員勢揃いとはいきませんでしたが、6名が集まりました。

平成6年に大学卒業と同時に入局した仲間ですが、もともとは、全員で11名でした。その中から基礎研究へ2名(夫妻で、教授助教授でとっても活躍中)、精神科医転向、眼科医へ転向が各1名などで、現在も小児科医として頑張っているのは、7名です。
この小児科7名のうち、なんと4人が加古川で開業しているという近しい状況です。眼科医も開業、別の1名も検討中とのことで、多くが地元兵庫県で活躍中ということになり、仲良しの学年ですが、皆が忙しく、3年ぶりの再会となりました。勤務医の女医さん2名も、施設長や部長として活躍です。

平成7年の阪神大震災を、神戸の大学病院で1年目の研修医として、まさに「もろに」体験した学年で、それぞれのその後の人生に影響も受けた学年だったと思います。

店の周囲、二次会の店、など、加古川の古き良き時代を思い出しながら、歩いていると、「昔」「以前は」「若い頃は」などと、懐古調になっている自分がいて、歳いったんだと思います。若い頃に戻ったように昔のままの爆笑の連続でしたが、その話の内容が、
「毛生え薬を使っているだの」、「夜にトイレに起きるだの」、そして、昔変わらない笑顔とノリにも、髪の変色は隠せなくなっています。卒後(医師になって)21年も経つのだから仕方がないですね。

それぞれの立場で活躍しているみんなをみて、エネルギーをもらえたと思います。美味しい穴子料理などを頂きながら、少々飲み過ぎましたが、楽しい時間となりました。そして、次回は、小児科を離れたメンバーも誘って、全員集合でやろうということになりました。

一晩明けて、少し二日酔いの頭でゴロゴロした日曜日、懐古調の気分のまま、昔を思い出すツールは何かと考えていて、ふと、これまで使ってきたメガネ(捨てられず置いてました)を持ち出して広げてみました。全部で13個。
それぞれを使っていた当時のいろんなことが意外にも鮮明に思い出されてきました。楽しいことばかりではありませんでしたが、今となってはすべていい思い出になっています。

大学受験まで
神戸大と東京大を受験し合格、最終的に地元神戸を選択


学生時代
勉強、部活(剣道部)でも比較的真面目に過ごした学生時代

ポリクリ(臨床実習)に合わせて、「真面目そうな」メガネに変更(本当は、当時公開の映画JFKのケビンコスナーがかけていた様なメガネに憧れてなのですが)。今から思えばもっとハメを外しておけばよかったと思うくらい真面目な学生でした。


1年目の研修医時代
最後に、大震災でそのまま、同期がバラバラに神戸を離れた時代



2-3年目 姫路の病院での研修医時代
生活にちょっと色気が出たりして、一番(!?)充実していた頃、現在の我が家の番頭さん(女性)と出会いもあり、いろんな勉強をした時代。



大学院入学
同期の仲間と、毎日毎日、動物実験の合間に近くの喫茶店での語らい、週の半分はいろんな病院への当直バイト、不規則だが楽しい時代、私も身を固め(結婚し)ての時代


神戸での勤務時代
医療センターで1年、医療福祉センターで5年間、小児神経の勉強と研究、利リハビリや福祉との連携を学んだ、一番濃厚な時代。メガネも、こころも徐々に丸みを帯びて…


加古川への帰還
前任地でのBurn-outにて体調を崩し、当時の院長先生からの加古川市民病院へ誘っていただいて感謝。地元での医療と、前任地で学んだノウハウをどのように結びつけるのがよいかを模索の時代


この頃に、気分転換にと探して出会った「丸メガネ研究会」(http://optomo.biz)。ここから現在に至る丸メガネ道が始まりました。
今も使っているマイ元祖 丸めがね


開業から現在
開業時のホームページの似顔絵を丸メガネにしたせいで、今後は丸メガネをやめるわけにはいかなくなりました。


「丸い顔に丸メガネ」お笑いですが、自己満足でこだわろうと思います。
「診療所」という雰囲気、「丸メガネ」というレトロ感を維持していければと思っています。
ついでにお腹も丸くなってきたのは…


最後に、私の父方祖父の話を。
昔、神戸の高校を卒業(日本画家の東山魁夷氏と親友だったそう)、京都大学で学んだあと鐘淵紡績(現在のカネボウ)の研究員として、当時の満州へ渡り、父が3歳の頃に、「鎌倉丸」という商船に乗っていて、当時の戦況下で、軍需物質も運搬していたとされ、渡航中に撃沈されて戦死したそうです。父もあまりに幼少でいろんな記憶も薄いのでしょうが、わずかに残された当時の写真が現存して見せてくれました。その写真にある、祖父の写真をみて、当時はほぼ全員が丸メガネだったでしょうが、何だか私ににているなあと思ったことを思い出しました。それがこの写真。


妻は「おじいちゃんの頭(形と大きさ)を引き継いでいる!」と少々興奮気味(?)でした。祖父も一時、高砂に(現在も)ある、カネボウの工場に勤めたこともあるそうで、私も1年間だけですが高砂市民病院で働いた時期(大学院時代)もあり、これも何かの縁かなと当時思ったことを思い出しました。昨年にこのブログにも書いた、沖縄の「対馬丸」と同じ様な経験で、自分の辿る場所と、先祖のいろんなことが、偶然マッチする不思議を感じます。まあ、似ているのは顔だけで、中身は違うのですが、祖父が理系、父は文系、医業には理系の知識と文系の心(?)のどちらもが必要な稼業だと思っている私としては、祖父、父に感謝しないといけないのかも知れません。

何だか真面目な話になってしまいましたが、結局、丸メガネを選んだのはそもそも偶然だし、いろんなことと結びつけるのは無理がありますが、まあ、似合っているかどうかは別として自分が気にいっていますので、このままでいこうかなと思っています。
(最近手に入れたメガネは特に娘達に不評です:怒)



最後に笑い話を

義父のお見舞いに姫路の某病院へ行ったときに、市民の方が趣味で撮った写真がギャラリーに展示されていました。
世の中に2-3人は似た人がいるとは、よく言いますが、まさに似た人(?)がいるもんだと思いました。


丸メガネ、万歳!

M.A.