「竹島」と表記した最古の公的地図確認 日本領土編入から約3ヶ月後に刊行の「海図」(島根・松江市) | きまぐれブログ写真! 想い出・記念日。

きまぐれブログ写真! 想い出・記念日。

誰にでも有る想い出、記念日に関係したものや、話題を動画で紹介します。

 

島根県の竹島が1905年、日本の領土に編入されたあと、初めて「竹島」と表記した公的地図が確認されました。

「竹島は秘密のうちに編入され国民に広く認知されていない」とする韓国側の主張を覆す資料になるということです。
 

日本の領土編入後に初めて「竹島」と表記されたのは、旧海軍の水路部が1905年4月22日に刊行した海図「日本近海水先図」です。
 

東京のシンクタンク「日本国際問題研究所」の委託で調査を行った、島根大学法文学部の舩杉力修教授が、10月に確認しました。
 

島根県編入前、海図には西洋での呼称「リアンコールト岩」と表記されていましたが、この海図に初めて「竹島」と表記されました。
海図は、海軍の各艦隊に送られ、民間にも販売されていたということで、「竹島」の存在が、領土編入の閣議決定から約3か月後には、国内に広く浸透していたことを示し、「竹島の領土編入は秘密のうちに行われ、国民に広く認知されることはなかった」とする、韓国側の主張を覆す資料になるということです。
 

島根大学 舩杉力修教授:
「前提の秘密裏もまったく問題ないし、それからそもそも日本海海戦の前に竹島が出ていたということなので、編入に関わる韓国側の主張はこの地図で論破出来た」
この海図は、複製版が松江市の竹島資料室と隠岐の島町の久見竹島歴史館で展示されています。

 

モイストウォッシュゲル