私が子どもの頃は、三学期制だったが、今は二学期制の方が多い。夏休みとか、どうなるのかな?今日は、2時半には、目覚めた。余命が少ない年寄りは、早寝早起きで過ごすしかない…合掌。 昨日Windowsでは、ネットワーク障害が起こったらしい。セキュリティソフトの影響らしいが、お店の方々は、慌てただろうな。今はパート店員、での対応なので店長はシステム対応と本社への確認作業に追われた筈だ。殆どのレジは電子決済等を前提対応だからな。私もある程度の現金は用意しているが、地震等の天災もあるだろうし、地元の金融機関も10万円までは、貸付出来るようだが、消費者自体も日頃から防衛意識を持たないと大変だ。


私の尊敬する人は、西郷隆盛、幕末から明治初期に活躍し、明治維新を成し遂げ、明治10年に西南戦争で享年満49歳(数え年51済)で亡くなった。隣県の英雄ではあるが、南九州で彼を悪く云う人は居ない。人柄のなせる業かもしれないが、熊本・鹿児島・宮崎で彼の悪い噂を聞いたことが無いのだ。彼は、贅沢三昧より質素倹約を尊び、鹿児島の若者たちの決起に合わせて、西南戦争を戦い、別府晋介の介錯で切腹して果てた。大久保利通と比較されるが、彼は東京で暗殺され、西郷隆盛は鹿児島に帰って自決。三洲墓地に葬られているが、今も若者たちが彼の周りにはいる。英雄というより鹿児島の誇るアイドルかもしれない。


明治時代・大正時代は、男性の平均寿命は43才前後でほとんど変動がないことがわかります。戦後直後の1947年で50才、1951年に60才、1971 年に70才、2013年に80才です。伸びた理由は、乳幼児の死亡率の低下、結核などへの医療の進歩、生活環境の改善、などがあげられるでしょう。乳幼児 の死亡率は、現在では3%程度ですが、大正期までは15%程度ありました。昔は、死産や母親の死も多く、子どもから大人まで育つのが、徴兵年齢まで生き残るのが第1関門。徴兵されて、生き残るのが第2関門。西郷隆盛時代は、50代まで生き残るのが第3関門でした。西郷隆盛は、前途ある若者たちの死が耐えられなかったのではないでしょうか。西郷隆盛は、死のタイミングを図っていたように思えます。後の日清戦争や日露戦争でも若者の死はありましたが、西郷隆盛時代は国内戦争が多かったのですが、それ以降は日清戦争や日露戦争等で対外戦争が増えてしまいました。ピークが 大東亜戦争でした。死というものが、戦場から非戦場へと移ってしまいました。