黄砂とスギ花粉のWパンチを昨日は午前中食らったので大変だった。目はシュパシュパ、喉はイガイガ、気管支も肺も大変だった。年寄りには、酷い一日だった。今日は、終日在宅しとこう。外出するのは大変である。私の生年月日は、 1953( 昭和28)年12月30日なので、今日で70歳3か月となる。余命2年8か月、実のところ余命2年半ではないかと思われる。それだけ体力が失われつつあるのだ。これは、昔の隠居➡老衰という流れかもしれない。今年いっぱい、来年年明け辺りで、はっきりしそうだ。しかし、月末が日曜日というケースは珍しいのかもしれない。昔なら、金融機関とか大変だったと思う。小切手や約手の不渡り等が起き安かったのだが…。今は、どうなのかな?


「地球幼年期の終わり」というアーサー・C・クラークのSF小説を思い出した。地球は滅ぶが、子どもたちは全てオーバーロードになるという宇宙監視者たちの悲しみ(彼らにはその資格が無いため)、大人たちだけが残されオーバーロードたちのため滅ぶ地球、 それぞれの悲哀という感覚だけが残る…。


まあ、ヒンズー教やチベット仏教で聖山とされるカイラス山に登ったことのある死神様によると、「とても人間風情が登れる山では無い!五千年も現世で暮らした我が輩が云うのだから間違いない!6666メートルの聖山に登れるとしたら、我らと死んだ者くらいだろう。お前も、死んだら我が輩に付いてこい!肉体が無い分、補給や排泄等も必要ない。真に便利じゃろう。」と夢の中で云われる。私、富士山🗻にも、登ったこと無いんですけど…。その倍近くの山に登らされるのですか?まあ、寒さも何もかも無関係な霊なのは分かりますが…。