3月のはじめに、
修行の旅に出ると言って
うちを出て以来
音沙汰無しのADD娘。
便りが無いのは元気の知らせ。
一人二人は親しい友達を
知っているので
そこからも連絡が無いってことは
問題がない、ということだろう。
夫は毎朝
「さむしいーさむしいー」
(寒くて寂しい、の、略語らしい)
と、鳴きながら(泣くのではなく)
出勤して行くが
多分、心配している訳ではない。
ずっと側にいた、騒がしかった娘が
居なくなって、文字通り寂しいのだ。
居なくなって気がついたのだけれど、
そばに居ようと遠くに居ようと
人に起きる事故やハプニングの率が
変わるわけではないのだった。
私は娘がそばにいるから
守ることが出来るとか、
安全だなんて思ったことは
(歩けない赤ん坊の時を除けば)
全然無い。
なんせ相手は
3歳のときには既に
ASPの相棒と二人して
銭函桂岡の広い山も海も街も
自由自在に走り回る力があると
自負していた自信満々のADDである。
こうしなさい、と、言われたから
言われたとおりにしようなんて気持ちは
全然、まるっきり、爪のかけらも
無いのだ。
エピソード①
三歳の頃から
迎えに行くから待ってるんだよ、
と、
伝えて迎えに行っても
約束の場所には居ない。たびたび。
「一人で帰れるから帰ってきた!」
、、、まず一人で帰ると連絡してくれー!!
エピソード②
小学校一年生の4月、つまり入学早々
学校からまっすぐ学童保育に行くはずが
一時間待っても来ないのだと
保育の先生と小学校から知らせが、、、
教頭先生まで巻き込んで大捜索。
なんのことはない、近くの公園で
遊んでいたのだけれど
「だって学童保育つまんないもん!」
、、、親、平謝りの生活開始。
エピソード③
小学校以降
忘れない日は無いってくらいの
忘れ物大王。
これはADDの、脳の構造なので、
忘れるのはまあ仕方ないとして、、、
実にナチュラルに
「忘れた!」
当然誰かが貸してくれるだろうと
悪びれず、あっけらかんとしている。
私も忘れたもんは仕方ないと思うけどさ、
でもさ、一応、
すみませんと一言言っとこうよーーー!とは、
度々思いました。
良く言えば天真爛漫。
よくもまあ、おとなしく(??)
高校卒業まで学校に通ったと
思うくらいには
頭の中が野生児だった。
誰が教えなくても
自分のことは自分で決める。
だから、昔から
母はこう思うよ、とは伝えても、
こう考えるべきだなんて強要したことは
無い。
無駄だから。
さて、
二年も経てば
挨拶くらいは寄越すだろうと
寂しく思いつつも
のんびり構えていたのだが、、、
昨日の朝、
うちの娘らが
二人共散々お世話になった、夫の母、
つまり、娘らにとっての祖母が
緊急入院したという、知らせが。
最低でも二週間は入院という重症。
すぐに夫が名古屋に行くという。
私は交代で5日ほど後に行こう。
上の娘にも
出来るだけお見舞いに行くようすすめて。
、、、、
、、、、
、、、、
、、、、
多分、ADD娘は
東海か近畿辺りに潜伏している、と、
推測している。
知らせれば大好きなお祖母ちゃんを
見舞いに行きたいと思うはずだ。
私よりずっと祖母を頼りにしている娘である。
そこでだ。
あの子はごく仲の良い友達が
二人ほどいて、
彼女らとまで連絡を断つようなことは
まず、無い筈。
常々、いざというときは
その友達に伝言しようと思っていたのだ。
今こそいざ!!
to be continued