電話相談でも
普段の人間関係でも

何かがすっと腑に落ちた時、

それまで悩まされていたことが
遠ざかっていく。

たとえ同じ人を相手にしていても
たった一日前まで
酷い摩擦を感じていた関係が
突然気にならなくなくなっている。

あとから考えれば、
摩擦がある間は
その人と
目に見えない何かを争っていたり
何かしら相手を変えようとしていたり

かなりくだらないことに
縛られていたのだ。

その、くだらなさに気づかない程度に
一生懸命だった、ともいえる。



近い相手であればあるほど
気が付かない間に
がんじがらめになっている。 

それは
きっと、悪いことではないのだ。

相手と自分を縛ることが
悪くないのではなく、

一生懸命になったということが
必要だったのだと思う。

一生懸命にならないと
自分が何に縛られるのかを
気づくことも、
そこから成長することも出来ない。

誰だって
赤の他人のことなら
冷静に観て
ある意味正しい判断ができるものなのだから。



親子関係なんていうのは
そのすったもんだの
最たるものなんだろうと思う。

互いの思い込みや偏りや期待を
何年も積み重ねて

そこから出るために
子どもたちは反抗期になり
自分の中にわだかまった親の価値観を
ひっくり返し、ぶちこわして

そしてそれでも
染み付いたものが
あることに、日々苛つく。

いろいろと
共鳴するものがたくさんあるのは
長く一緒にいた印でもある。

それから、
ある日突然

ま、いっか!

親といえども
私じゃない。

私のことじゃないなら
ほっといてもいいよね!

私は
ここに至るのに
55年もかかってしまったので

子どもたちに
早く納得しろとは
言い難いものがある。

ぼちぼち行きましょう。



それにしても、
18年〜24年も一緒にいた子どもたちが
家の中にいないのは、
寂しいなあ。

あの不機嫌の塊のような
思春期の子供でも、
そのぬくもりは大したものだった!