
三代も遡れば
どこの家系にも
お金持ちも犯罪者も頭のネジが飛んだ人も
何かの障害がある人も、いる。
たまたま親や我が子が
それに当たる可能性も充分にある。
日本は特に、
身内のことは身内が責任を負うべきと
考える人が少なくないのだけど、、、
そのように思い込む人だって
自分の責任すら
負いきれてはいないことが多い。
最近は特に
何かをよってたかってバッシングする構図が
あちこちで見られるけれど、、、
あれは
バッシングしてる人たち自身が
次は自分かもしれないと
戦々恐々としているのではなかろうか?
一種のストレス発散のための
イジメなんだろう。
すべての虐めがそうであるように
やればやるだけモヤモヤは溜る一方
だろうなあ、、、、
次は自分かもしれないんだもんねー!
怖くて自分を顧みることが出来ないだろうと
他人事ながら辛そうに感じる。
一見はその人のため、みたいな
忠告やアドバイスも
形を変えた虐めになっていることもある。
このほうが正しい、とか、
こうすれば周りが心地良い、とか。
その人の視点を置き去りにして。
誰も正しくなくて良い。
誰もが間違っていて構わない。
私達は神様ではなく
不出来な人間として生まれてきたのだから
生まれたときよりほんの少し
前に進めていればそれで充分。
昨日もセントレア空港のゲート前で
「えーい、人のカバンを置いた席に
そのでかい尻をおくんじゃない!!」
なーんて
私の心の中で怒って罵倒する人がいてねー!!
ええ、もうおひとかた(頭の中の)が
「そこにどうしても座りたいってんなら
座らせてあげればいいじゃないの、
ほら、カバンを違う席に移すよ!
あっちもこっちも空いてるんだからー」
と、大人な対応をしてくれましたけどねー。
ムカッとか、イラッとか、
モヤモヤっとかはね、
私達の爬虫類脳が自然に
反応したものだから
それ自体は良くも悪くもないの。
でもムカッイラッモヤモヤっのまんまで
行動に移すと、
いろいろと
社会的には摩擦が起きるよねー。
しかも、
摩擦があればあるほど心の中の
ムカッイラッモヤモヤーーは、
増える一方だったりする。
少しだけ、間をおいて、
ムカッイラッモヤモヤっが
あとをひかないような
対応が出来るといいなあ。
今んとこ八割以上は
いわゆる理性的な対応ってやつをしてますが
たまにバンバンバン!!と
机を叩くくらいのことは。
まだまだ不出来ー!
のびしろ、ありまーーーす!!