さて、その後、
娘は夫とも話し、

三日間連休だというのに
模試で連日学校に通うクラスメートを尻目に

「先生も模試で学校にいるから、
ちょっとお話ししてくるねー!」

、、、ただでさえ受験直前で
心労の多い担任の先生の手間を
アルバイトの相談なんかで
増やすんじゃないよーーー!

、、、と、思わないではないが

問題児は出来るだけ視界に入っている方が
多分お気は楽だろうと
止めずにおく。




すさまじかった
二階の娘の汚部屋が、なんと、
2日間ですっかり片付き、
(大方捨てて、お布団とタンスがひとつだけ)

空いた場所で
暇さえあれば、バスケの練習。

それはもう、
ドンドコドンドコ、
一階で過ごしている夫には
さぞ、耳障りなことだろう。

娘が元気な証と思って
我慢してねー!



計画性も将来性も
あるようには見えない
娘の選択。

三年前なら
私の両親が私に
言い聞かせたのと同じように、

あと三ヶ月だけ
頑張って、受験だけでも
終えろと言ったかもしれない。

実際、長年続けている
私の仕事は土壇場に強い家庭教師で
半年で歯科大、二ヶ月で薬科大、なんて
生徒さんたちはたくさんいた。

センター入試得点を今から
6~7割得点にするのは可能だと思う。

でもね、出来る出来ないより
大事なことがある。

やる気ある?
楽しめる?
達成して
幸せになれる?

受験を楽しめる人は
確かに居るし、

何がなんでも
合格したい人も居るし、

受験に関係なく
学ぶことを楽しむ人もいる。

しかし、、、
私の娘たちは
少なくとも学校での学びを
あまり楽しまず、
そこに時間をかけたいとは
思わなかったのだった。

それはそれで構わないと、思う。

学校だけが学びではなく、
何をするにせよ、
したいことに合わせて
学べばよい。

だが、私が35年以上
盆暮れ正月関係なく
ずっと受験対策をやっていたもので

娘はいつの間にか
受験はしなければならないものと
思い込み、

幼馴染みと一緒に
高校受験の勉強を私に
教わったりしたものだから

学校の勉強が出来る賢さだけが
評価されると思い込んだかもしれない。

私は運動、特に球技は
苦手だから、何かにつけて
娘がバスケットを好きでやっていたのを
よく頑張れるね、偉いねと
感心して誉めていたつもりだったが、、

あまり、伝わっていなかったかもしれない。

ともあれ、
やっと
好きなことを
やると、
決意したのだ。

めでたい!

今出来ることを、精一杯。

娘も、私も、他の誰でも。