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よくよく、「他人の不幸は蜜の味」なんて言葉を聞く。
でも、うちは違う言葉を入れている。
「他人の不幸もいずれは我が身。」
他人の不幸を嘲笑ったり便乗叩きしたら、もし後々自分に不幸が訪れた時、
それを嘲笑ったり便乗叩きする人たちに果たして文句を言う資格はあるのだろうか?
多分「ない」と思う。
なぜなら、因果応報はかならずある。
言葉はすべてブーメラン。やってきたことも、生き方もすべてブーメラン。
それにまあ、「己の欲せざる所は人に施す勿れ」。
今までの経験で「されて嫌だったこと」、他の人の痛みを見てきて「悲しかったこと」。
これを「自分はこう育った」といって他人に向けるのって、おかしいと思っている。
共感がほしい?いや、結局はけ口がほしいだけなのだろう。
…でもまあ、結局不毛なんだよね。
だから、うちはある時期より「反面教師」として学習しようってなった。
たしかに最初は感情的になって、されたことと同じようなことを他人に向けたこともあった。
でもまあ、色々経験していくうちに…結局不毛なんだよね。
ずっとずっと繰り返されて、誰かに負のリレーをしているというか。
「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」みたいなことをしているというのか。
全否定されるのが怖いから、全否定をやめる。
叩かれたり怒鳴られたりが怖いから、
(やらかしを諌めつつ)叩いたり怒鳴ったりするのをやめる。
束縛が怖いから、束縛を辞める。
そんな感じで、経験してきた、見てきた「痛み」は反面教師にして、
他人に向けないように生きていきたいものである。
押し付けられるのが辛いから、押し付けないように生きたいけど、
それは意外と難しいんよね…無意識でやってる可能性も…否定できないから。
ここは気をつけて生きねば。
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