淀川の掃除 | 鳥飼和一郎のブログ

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親しい知人のブログを読んで新しい世界を知りました。
この世に何かを残す事に今トキメキを感じます。
偶然とはミラクルなものです。ボランティア、音楽、絵、友人達、毎日が生きがい元気です。



昔は畑いまはごみ山、きれいにしたら芋でも

育てるか




川辺の散歩道のすぐ側だが誰も来ない、たま

に来る釣り人だけ



誰が残したのか、大きなジョーロ、小さな鍬、

のこぎり、鎌が取り残されていた。




横から見たわんど水鳥、野鳥も多くいる




遠くかなたに都会もみえる


淀川を少しだけきれいにした。安威川近辺

を主にクリーンしているので、淀川はひさし

ぶり。


名の知れた「わんど、川の湾」の側、前か

ら気になっていた所がある。


300坪位の平らな一見畑風、外部からは

ほとんど見えない。まわりに流木や倒れた

木、ジャングルの様な太いつた、ターザン

になった気分である。


大きな水差し、錆びた小さいカマとノコギリ、

小型の鍬までそろって置いてある。


ごみが散乱、木には大きなブルーシートが

引っかかり風にはためいている。


大きなプルーシートが永遠なれのように風に

泳いでいる見苦しいので除去した。1カ月

かけてきれいにするつもり。


この付近は平安時代に紀貫之が泊まった所

、5年間の国司を終えて高知県南国市から

50数日かけて京都に帰る途中泊まった。


土佐日記の作者の彼はジョーク、ユーモア

が趣味、ここ「鳥飼」で何を言ったかを想像

してみた。


「腹がへっては日記が書けぬ、ここ鳥飼で鳥鍋

でも食いたいな」


江戸時代には朝鮮通信使一行が、瀬戸内海

から淀川へ川舟に乗り換えて12回、淀川を

さかのぼって淀まで行き京都から江戸まで歩

いたと歴史に記されている。


彼等は着飾った小童、楽団、文化人、芸術家、

医師等の大所帯で川辺の村人の目を楽しませ

て、今の韓流のルーツのようだった。


「きゃーサインして」と多くの若い女性が駆け寄

るので後になってサイン禁止にしたと書かれて

いる。


今日このすばらしい川辺にたたずみ、昔を想う

タイムトンネルを探したが、あいにく見つからず

もぐらの作ったトンネルが替わりをしてくれた。