テレビ、インターネット界隈で頻繁にコンピュータを媒体とした現世代、
次世代のビジネスの話題が盛んである。
これをコンピュータを媒体としたビジネスという古臭い言葉で形容しないといけないのが
見事に残念である。私はビジネスという表現を使ったが、既にインフラであるのは
間違いないが、私の直感ではインフラである前にビジネスの戦場であるのは確かだからである。
現世代、次世代のコンピュータインフラは、全世界で覇権の取り合いで、血みどろだ。
私はその界隈にはうといので何もコメントできないが、なんとなく感じるのはジョブズやゲイツのようなガレージから始めた名もなき少年たちが、当時、
最先端の何に使うか分からないコンピュータを使って、社会を席巻し、いつの間にか億万長者になっていた、そんなアメリカンドリームは今後、あり得ないと思えることだ。
私は金も力もないが、アイデアだけでのし上がり、コンピュータの巨人IMBを名もなきガレージカンパニーが倒した伝説を見てきたが、それはやはり、伝説でしかないと思っている。
今後は今後も資本の前には勝てないと思う。
巨大な資本の前には、名もなきガレージカンパニーは蟻が象に潰される如く、吸収されるのがオチだろう。分かり切った展開である。
そんなコンピュータ界隈の話はさておき、コンピュータがインフラと化した今、ゲームだろうが、スマートフォンだろうが、ビジネスだろうが、そこにビジネスの勝機を見出す人間は世界中にごまんといる訳である。
我々はコンピュータを媒体として今後の覇権を争っている訳だが、気づいてもらいたい。
今のところ、あくまで今のところ、コンピュータの向こうの世界が無限に広がり、ビジネスのチャンスが転がっていても、それを扱っているのはだれか。
人間である。
人間である以上、そのコンピュータにアクセスしなければならない。
その人間のインターフェースは何か、
「目」である。
どうしても目は使わなければならない。
ゲームにしろ、スマートフォンのアプリにしろ、仮想現実にしてもだ。
確かに脳から直接、コンピュータにアクセスする技術はあるが、まだまだ庶民の間に広がってはいない。庶民は、モニターに噛り付き、1ドットの点滅に右往左往しているばかりだ。
私は鍼灸師である。
コンピュータのインフラがいかに進化しようとも、ユーザーが目を酷使しそれを続けている以上、目の疲労から逃げられないと考える。
ゲーミングチェア等のデバイスが体を楽にしようと、目薬をさそうと、使った目の筋肉が回復するにはそれ相当の時間を必要とする。
眼球疲労は、網膜に対する神経の疲労という観点も捨てられないが、多くは眼球を動かす筋肉の疲労である。
筋肉は小さければ小さい程、疲労した時の回復に時間がかかる。
筋肉自体が小さいから疲労物質をため込みやすいのである。
これは反対に、大きな筋肉の代表である太ももなどは、疲労しても回復しやすい。
目の疲労は、何も目だけにおこる問題ではない。
付随する頭部に繋がっていることもあり、頭痛を誘発する場合もある。
高橋名人が言っていた通り、ゲームは1日1時間は的外れな話ではなく、それくらいの時間にとどめておかないと、目の筋肉が疲労した後、翌日の回復が間に合わないと言える。
ゲームだけでなく、テレビ、スマートフォン、色々なものを間近で見て生活する我々は1日1時間では済まない生活を送っている訳で、目にかかるストレスは非常に大きいと体感的に考えられる。
眼球を動かす筋肉に直接、鍼を刺すことはできない。その筋肉は頭蓋骨の中にある訳で鍼を刺すことが出来ない。だが、目を支える表情筋には鍼を刺すことが可能である。
少なくとも凝り固まった目の周りの筋肉に対して疲労を軽減できるのは確かである。
e-sportsの1ドット1秒、もしくは0.1とかそれ以下の世界で戦っている人間は物理的に目を酷使しているのだから、物理的に目の周辺にある筋肉の緊張を緩和させてあげることで、よりパフォーマンスが高まると思われる。
これは他のスポーツ選手と一緒である。テニス、サッカーその他、競技者、また歌手といった喉をつかうアーティストも、筋疲労に対し、鍼、灸をつかったケアをしている訳である。
資源が乏しい日本で、コンピュータ内に資源を見出すのは今後も需要は拡大する一方で、拡大していくしか日本のサービス産業やら、コンピュータゼネコンに未来は無い。これは確かである。
理屈はどうであれ、目が疲れたら、鍼、灸を行い、自身のケアや仕事のパフォーマンスを高めてもらいたいと思う。
(文:閑ノ鍼灸院 閑野文男)