アルバイト先の高齢者施設で、靴を履くのに苦労している利用者がいます。
介護施設の方針として、その利用者に自立を促すという意味で、ご自身で靴を履いてもらうという事らしいです。
ただ。
介護やリハビリテーションをかじった人間ならばある程度、理解していただけると思いますが、介護や医療は根性論ではどうにもなりません。
場合によっては、国体レベル国際レベルの競技者が、競技に復帰する為のリハビリを行うために、あえて無理難題を根性論で乗り越える、ということをするかも知れません。
今年の夏の高校野球大会を見ても分かる通り、全国大会ではもはや根性論で野球をやっている高校生は少ないです。むしろ、いないと言っても良いでしょう。
身体機能の強化、パフォーマンスの向上、さらに身体作りの為の栄養摂取、ほぼすべてにおいて科学的根拠に基づいて合理的に行われています。
それが、良いとか悪いとかは、別の話ですが。
私がこのブログで言いたいのは、その靴を履けない利用者が、靴を履くという行為が客観的に、そして理論的に行えるかどうか、判断した上で行っているか、甚だ疑問に感じたからです。
できない事をやらせて、楽しんでいるようにしか見えなかったのが本音です。
身体機能の低下により、靴を履きたくても履けない場合があります。
場合によっては、手足が欠損している方もいるでしょうし、運動麻痺の方も当然ながらいらっしゃる。認知の欠如によっても同様の事が言えるでしょう。
靴を履かせたければ、靴を履かせられるだけの要素を用意する必要があります。
できない事をさせるのではなく、できるように促すことが、正にリハビリテーションなのです。
まず、靴が履けない利用者の身体機能を評価したうえで、身体機能の問題があるのならば、それを補うために身体機能の強化が有効なのか、有効でなければ、環境を整えることも必要です。
私は今回、環境を整えることを選択し、手が靴に届かないと判断したので、届くように床面を底上げしました。ひらたくいうと、台に足をのせました。
それでも靴に届かないため、ソックスエイドを改良したシューズエイドを作成し、課題を成し遂げました。
このように、当たり前のことを当たり前に手順を踏むことが、生活に必要なことなのではないでしょうか。
介護は日常です。
つらいことをする必要はないのです。
また、我々は手助けするだけが介護ではなく、必要なものを必要な分だけ支援することが本当の介護、またはリハビリテーションだと私は考えます。
意味のない根性論をはく介護士は即刻、考えを改めた方が良いと思います。