おはようございます☕
婆です☔寒い((((;゚Д゚))))現在東京気温3度です。
このところずっと体調がいまいちで
家事やるだけで精一杯です。
今日は「池田小学校襲撃事件」で死刑になった人の話しを書きますので、
興味がない方や事件の内容がセンシティブなものなので見たくない方はそっ閉じでお願いします。
2004年くらいに
大阪の教育大付属の小学校に
近所のおっさんが刃物持ってきて
死亡8人怪我15人の被害が出たのですが
この犯人と同じ年生まれだったので
ちょっと気になって
今はネットで調べられるので
ちょこちょこ調べていました。
元々、「人はなぜ罪を犯すのか」に特定の信仰に帰依する宗教者として答えを知りたかったのですが、
この犯人と自分の境遇が似ていてちょっと驚きました。
・働かない酒乱DV父親
・家事育児能力がない母親
・本人の精神的資質
で、
事件後に実兄さんは自死しておられるとかで
救いようがない不幸な人々が集まって
とりあえず家族の体を形作っていたのだろうと
思われます。
また、私は
・男が働かない
・女が家事育児能力がない
は、同等だと思っています。
なんのかんの言おうが
誰かが収入を得て
誰かが家を整頓して
誰かが食事を用意しないと
家族は生活できないです。
人が犯罪を実行する理由として、
・環境
・本人の資質
・何らかの精神疾患
の、3つ以上の条件が揃った時
という説明があるのですが
この犯人も3つ以上が揃った環境にあったようです。
今回は特にこの犯人自体ではなく、
この犯人が小学校を襲撃する思考のきっかけのような事と、
そのきっかけによって「ルサンチマンの意識が高くなったのではないか」と、事件後に精神分析をした精神科医が言ったとWikipediaにあったのですが、
「ルサンチマン」というのは皮肉をこめて「先生」と敬称をお付けしたい、ニーチェが言ったそうなんですが
引用すると、
キリスト教の始まった理由なんだけども
当時のローマ帝国への反感で、
貧困で弱者であるのは善人であるからで
裕福で強者であるのは悪人であるから
という思想からと、だからキリスト教ならび宗教は社会的弱者と言われるいわゆる敗北者の僻み根性を正当化するためのものなのだとニーチェ先生が書いたんだってさ。
次男が、
「まあ、裕福で勝ち組なら宗教に救いを求める必要もないですしね」
と言ったのでそらそうだろうとは思うのですが
今の上皇后は日清グループの会長の令嬢で、ミッション系の大学をご卒業で入内前はキリスト教信仰をしておられたそうだから、ニーチェ先生の言い草もどうかとは思うのですが
ニーチェ自身も強迫神経症で統合失調症を発症した人なので、
哲学者や思想家の意見なんて
耳半分で聞いとったらいんじゃないでしょうか。
こういう事件の犯人の家庭環境を見るに
不快で醜悪で如何わしいものばかりなのですが
この家の父親も
先祖が薩摩藩の貧困家庭の武家
という出自に恐ろしいほどの誇りを持っていたそうですが、
ウチの母親も似たような事と自分の旧姓をすごい誇りにしており、その半面
「自分は離婚したから負け犬なんや」
と、言ったりもしていました。
まあ、
子供に
そのような「負け犬理論」と「被害者意識」を植え付けながら育てるのはあまり良い事ではないと思うのですね。
ウチの母親なども
仕事の帰りにたまたま会った人から
「娘さんたち会合に来てなかった」
と、言われただけでカッとなって
帰宅するなり2時間説教が始まるので
辟易していた覚えがあります。
私にとっての宗教は道徳みたいなもので、
神様が見ているから悪い事は出来ないし、
仏様が見ているから善い事をしたら褒めて貰える、
というふうに考えていたのですが
私が母親に常々、
「アンタは連合赤軍みたいな事や」
「オウム真理教のような事をする人間や」、と
言われたりしていまして、
母親の期待通りにこの犯人みたいにならなかったのは
神仏の存在を身近に感じていたからのように思います。
余談ですが
私は母親がいつ亡くなったかを知らないのですが
夢に出てきた時は
広い礼拝堂のような場所で
ポツンと椅子に座っていました。
誰も迎えに来ず幽界に留まっているのだろうと
感じました。
成仏できずざまあとか思わないし
ずっと傍にいてとも思わない。
いつまでも幽界におられちゃ
生きてる人間によからぬ影響がありますから
あの世にきっちりと送ります。
おわり。
見て下さった方ありがとうございます🍀