借り物ではなく自分で学ぶ!
滋賀、草津、熱いくらいの晴天。
非常にいい天気。
生徒さんたちも、お仕事帰りの時間を利用して、少しずつスキルUPされている。
楽しみながらやることが大事だね。
その点、みなさんPC好きそうでうれしい限り。
顧問先さんに頼まれていた企画書を総200Pほど提出した。
内容が、多岐にわたるけれど、それをうまく統合して、
コンセプトに沿ったものにしないといけない。
それでもまだ、会議のたたき台でしかない。
そこから、どんなふうになっていくのか楽しみ。
スクールでは、コンサルや企業の顧問、WEB、ITの作成戦略などをやっている講師が、
教えますので、お仕事の持ち込みや、お仕事関係での悩み相談もOKです。
また、就職活動の悩み相談、
人生相談もよく乗っているんだ。
結局のところ、こういったことは経験がものをいうのだけど、
それは、『人とどれだけひざを突き合わせたか』に尽きる。
しかも、「多様な人たちと」
それが無ければ、なかなか語れない。
というか、先方がおっしゃられている意味が、本当の意味でつかめない。
一番怖いのは、わかったつもりになってしまうこと。
相手が言ったことが、聞いただけで分かったつもりになっているということ。
僕たちは、絶対、自分の解釈をもう一人の自分が疑ってみている。
人間は、自分に都合がいいように、物事を湾曲して解釈するものだから。
だから、「それは、自分が都合がいいように解釈しているだけじゃないの?」
と、クリティカルシンキングをする。
さらに、ここで終わらない。
それを絶対に裏取りする。
そこまでで、思考プロセスのワンセットだとみなす。
裏取りしない人は多いよね。。
周りに聞いてみたり、本当にそうなのか実験的に確証を獲れるまで判断せずに、
何度も何度も実験する。
つまり、僕らは、絶対「帰納法」でものを考える。
でも、依存症の人は、
傾向があって、
まず、「演繹法=公式を求める」
「答え」ばかり求めて、体よくネットの言葉に引っかかる。
そして、その「答え」で安心するけど、
そんなものは、その人が言ったものであって、自分の答えであるわけがない。
だから、そんな不安の払しょくは幻だから、また、亡者のように、答えを求め、むさぼり歩く。
それはそもそも、自分が「答え」を外に求めている時点で、不毛であると理解しない限り続くし、
聞こえのいい、考えや思考をどこかでぱくっては、
自分で裏取りしないで語ってしまう。
これは一番危険だ、「経験していない人(答えばかり求める人)」が、
「すばらしい経験をした人の経験(宝石を持っているらしき人の話)」を
自分が、さも経験したかのように勘違いする。
これが、僕が言う、「=わかったつもりになること」で、成長するどころか、
一番、害になる。
成長の反対、、にすすむ。そして周りにも迷惑をかけている。
でも、自分の中には、素晴らしい響きの言葉という名の「こたえ」がたくさんあるので、
その小さな宝石箱の中の、宝石を日々あけてのぞいてみては、満足する。
そうなってしまうと、もう、それが、役に立たないものだ!という周りの人のメッセージは届かない。
ましてやそれは、害毒のあるホウセキですよ!という言葉も、通じない。
自分が、考えて経験して、さらにそれを裏取りし、何度も検証をした。
そんなものが、自分だけの宝物になる。
その状態でも、まだ「自分だけのもの」
人には通用しない。
演繹法で土台を置いておいて、そこから、さも自分で考えた風に語る。
けれども、その土台がずれているので、言葉としては素晴らしいけど、中身がずれている。
つまり、形にはならない。違った方へ行く。
この土台の演繹公式を疑うってことが必要で、
そして、それを確認、裏取りしないといけない。
ほとんどが、自分の都合の良い、マクロ拡大解釈で、漫画に出てくる主人公の設定がいきなり、
主人公補正で強化されたぐらい、おかしなことを頭でしてしまっている。
自分は気がつかない。近くの人間は敏感に察知するが、
その微妙な違いをうまく指摘できる人はまずいない。
だから、→揉める
→本当の意味で、とめてくれる大切な人や言ってくれる人がいなくなる・・。
→破壊分裂
→どんどんスパイラルに行く
→自分は間違っていない(自分の集めた公式通り(小さな宝石箱には、小さな幸せはつまっている))
→何かおかしな形がおこって、それを気がつかねばいけない状況になる
→病気や事故、何をやってもうまくいかない不運ばかりおこる=自分が引き寄せているのだが・・・
→自分は演繹法=公式通りやっているから、間違っていない
→まわりがわるい、周りが間違っていると解釈する
→勝手な演繹土台を捨てないので、延々と、同じ繰り返し。。
ほぼほぼ、このパターンだ。
情報コレクターはまずこれだし、
きれいごとの好きな人も注意だし、スピリッチュアル系が好きな人もはまりやすいパターンだね。
とにかく、自分で経験してみて、
自分だけじゃない周りの人をたくさん多様な人と裏取りして、
自分のものになっていかねば、
それらは、いつまでも使えない借り物。
道具だから、使わないと意味がないんだけど、
答えをもらったと勘違いして、
それを取り出しては、眺めて、感想を述べてしまう。
意味はあまりない。
感想は美しい言葉に満ちていて、一見、おおーーと思うけど、
それだけだ。
僕は実践、実践、実践で、学んできた。
誰も教えてくれない。 自分の経験から学ぶ。