本当に自立/自律していなければ・・・ | CAD/WEB/DTP/OFFICEパソコンスクールアクトワールド

本当に自立/自律していなければ・・・

滋賀、草津、本日は晴天。


また、大きな台風が来ているみたいで。


13日、祝日はお休みですが、今日も、明日も開講しています。


皆さん、朝から頑張ってスキルUPにお越しです。




パソコンスキルも、できているつもりっていうのはよくあることで、


①同じ環境、同じパソコン、同じソフトで、同じ仕事 → ”・・・なら、まあ、・・・できる”


ということでも、


これが、


②違う環境、違うパソコン、違うソフトで、違う仕事なら、 → まったくできない・・・・


ということがよくある。




この①と②あたりのギャップを埋めれる人が、「本当にできる人」なんだけど、


これを埋めるには、やはり”実務経験”というもののほかにはない。




様々な環境で、さまざまな仕事のスタイルの中で、一定の使用ができる


というのが、一番、仕事を任せやすいわけで。




これは、いろいろと、さわっていないとまず、埋められない。




基本は大切で、基礎をおろそかにして、「仕事だけで学んだ場合」、


あるところで、伸びなくなる。




これは実践学習が、最も学びでは、早いし、合理的である反面、「伸びなくなる壁」が、出てくるのでたちがわるい。




このバランスが難しいところで、


演繹法と帰納法のバランスというか。




実践学習は、仕事で必要な部分だけを仕事をしながら、使えるようになった状態であり、


これは、ほぼ、「帰納法的」な学び。



これを続けると、どこかで、伸びなくなる=できなくなる。



妙な癖がついているとなおのさら難しい。






本来は、基本的な部分は、「演繹法」としてしっかりある程度、学ぶ必要がある。


これは、数学でいうところの公式を覚えるに等しいんだ。



公式を”覚える”っていう、勉強方法が、おもしろいわけがない。




しかし、最低限”要る”から、仕方がない。



その最低限が、どこなのかが、「初めての人にはわからない」 


ゆえに、 ”スクールに入って、教えてもらう” となるよね。



なぜなら、すべてを覚える学習は時間がかかりすぎるし、ナンセンスだからなんだ。



つまり、われわれスクールの目的は、「必要不可欠な最低限の演繹法=公式を教え」


かつ、「いかに機能的=帰納法的に=応用力を身につけさせるか」 にかかっているんだ。





最低限の公式は、”覚えておく” 必要はある。


しかし、その部分と、実践で役立つ臨機応変な道具の使用方法は、


帰納法的な思考能力にかかっている。



パソコン習得で、苦労する人は、演繹法的な学びに重きを置く人だ。



これは、学校教育の弊害ともいえるね。



なんせ、覚えればほぼ何とかなるんだから。



ツールとしての使用方法は、最低限の覚えることと+帰納法的な活用能力




・・・まあ、いいかえると、消去法的に答えを導く能力といいますか・・・





そのパターンで、道具を使い、そして、理想は自分の使い方まで昇華できれば完璧だね。




さて、久しぶりの更新になってしまったけど、


これは、「人間自体のシステムの活用」においても言えると思う。




たとえば、人間関係や、人生で悩む。


たとえば、健康問題や金銭問題で悩む。




これらに対して、ある程度最低限の、演繹法的なルールというか、公式、答えはある。


いや、公式か。



”悩んでいる人のほとんどが、結果を求めて、探しさまよい見つからない理由はここにある”




見つからない。



その理由は、まずは、頭が、演繹法的すぎるから。




演繹法的な考えがこびりついている人は、自分が悩んだり課題にぶち当たると、


すぐに体のいい、響きのよい答えを求めてさ迷い歩く。




それで、いいかな~とおもう、言葉や記述に目を止めて、まあ、偽りの安心と納得を得る。




→ しかし現実は何も変わりはしない。


→ 上記を繰り返す





そこで、その繰り返しで、自分のパターンを客観視できる人はそこから抜け出る。



演繹的にさまざまな、ノウハウ書を読んだところで、人の話を聴いたところで、


それは答えではなく公式であり、それを解けるかはまた別問題であり、


しかも、それは、パソコンの習得と等しく、ただの土台であるから、


現在の目の前の問題を解決するための基本でしかない。




ここに気が付かないと、一向に自分では開けない。



帰納法的な思考を持っていれば、それこそ、気が付けるはずなんだけれど、


悩み相談などでよくお話を聴くと、ほぼこのパターンだね。




帰納法的に、自分自身が実践学習して、そこからフィードバックし、自分自身で、問題を解決に導くこと。



そのためには、解決のための必要最低限の演繹法=公式がいる。


でもここで、不安だから、公式ばかりコレクションして、どれも使えないし、どれを使ったらいいかもわからなくなって、コレクションを眺めて、満足する。



みたいなことが多くある。




いつも、コツコツとした努力が必要で、たなから牡丹餅や、いやなことを人に押し付けたり、すり替えたり、


自分だけが、得しようとガサクしたりしていると、本当に、なにもなくなってしまうだろう。


ある種進んで、自分に来ているいやなことや面倒なことを、買って出て処理をしていく、半端ない、しんどい、さなかで、自分なりの公式や、解決方法を自分で帰納法的に見つける。


という気概がなければ、自分で解決なんてできない。





周りのことではなく、本当に自分自身の足元を見つめて、ひたむきに


コツコツと、毎日の中で、できる限りの努力をし続けて、


結果ばかりを焦って求めないで、自分を見つめて繰り返し繰り返し、


習性を修整・変更していく人が、転職就職も、人生もうまく行っておられるようにおもう。




こういう方たちは、ひたむきな日々の努力を人にあまり見せないし語らない。


だから周りからは、いつも結果だけがよくなっているように見えるけど。



要は、しっかりと自立されているってことだね。


これは、まずは精神的な自律。


人を当てにしていないっていうか。



何かに、依存していないというか。(いいわけしないっていうか・・)



これは間違いない。


何かがないと、不安だとか、何かしていないと心配だとか、いうのは、本当に自律していない。


依存しているからだ。


依存しているものがあるなら、思い切って、ぽいっ!しよう!


破り捨てよう!


すてさろう!




そして清々したら、

そのあたりからメスを入れて、自分自身を立脚させる、


ちゃんと立つと、視野が広がるのでよく見える。


何かにもたれかかっているうちに何かをしても、結局はなにも、自分のものになっていない。


順序が違うから、道理といえる。



((久々だったので長文になってしまった。皆さん、台風にお気を付けください。))