ふりかえりⅡ
本日も、ちょっと違う話の続きを。
前回の記事では、同志が・・・という話を書いたんだ。
そのほとんどの人が、自立、自営するようになっていった。
これも不思議な話だが。
共通事実がある。
ほぼ、全員が、 ”絶望”を味わっている っということ。
そして、同時に、
”人や周りへの甘えを何千何万、いやもしかして何億回と自分でかなぐり捨ててきた人” たちだ。
自分の絶望感や、虚無感、否定感など、
自分の中に起こるこの思考や感情にとらわれそうになったときに、
A:周りや人、ものや何かを頼って、ごまかしてしまう人
B:自分自身でそれを心底見つめ、人知れず自分だけでそれを真正面から乗り越えてきた人
に分かれる。
些細なそんな、自分の気持ち。
やるせなさやいたらなさ。
そういった誰もが持つ感情を自分で逃げずに乗り越えてきた人ばかりだ。
つまり、Bのタイプの人だ。
だから、これは、まず、「自律」につながる。
周りを当てにするから、甘える。
自分を当てにして、必死に改善していくことを覚悟すれば、
ぐたぐたいっている余裕はない。
頼れそう(=甘えられそうが隠れている)ななにかや誰かを探している間は、自律できていない。
その段階では、本気で生きていない。
絶望とは、孤独で誰もいない何もない、何もたより甘えスガルものも何もない
過去の思いに甘えたり、
過去の自分や過去のだれかに甘えたり、それで今をごまかす人たちではなかったということだね。
だから、そういった、本当の意味で大人な人たちと一緒に何かをできるということは、
すごく刺激になるし、勉強になるんだ。
でもはじめから、そうだったわけじゃないだろう。
どの人も、その大切さを自ら痛い目をあって知り、
そして、周りに甘えて探し続けていた自分へ自ら終止符を打ち(・・・続け・・)、
自ら創造し、生み出していく、本当の自分を見ていくことを決め続けたんだと思う。
僕はそういう、周りの人たちを尊敬する。
何か実績などなくていい。
何か、お金が人よりもっていなくてもいい。
自営や独立してなくてもいい。
仕事につけていなくてもいい。
なにもほこれるものがなくてもいい。
なにか、誇れる友人や知人がいなくてもいい。
ただ、そうやって、今の自分に逃げずに、向き合える、そういう人を僕は尊敬する。
誰しも持っている弱さ。
それを自分の中にちゃんと認めて、
そしてそれにごまかさずに向き合う。この連続。
振り返ると自分がいる。
比べるべき自分がいる。
弱い自分が顔を出す機会をうかがっている。
そう、よし!みつけたぞ!
ありがとう。
それでまたやっていける。
やるべきことがここにあるから。
あえて、・・ちょっと、弱さを残しておける・・、そんなゆとりを持てる日まで・・・