インターンシップや研修生たちとの素晴らしい交流
滋賀、草津、今日は、快晴。
夜に夕立があった。
今日も、今週から、がんばって、龍谷大学の学生さんたちがインターンシップに来られています。
ある程度、主体性を持って、自分たちで考えて作業をしていただいていますが、
なかなかすばらしく一生懸命されています。
みていると、
”パソコン好きなんだなぁ” と感じるね。
僕なんかよりも、数倍向いているね。
将来有望な彼らも、仕事を何のためにするのかを考えてもらうという命題を抱えながら、
作業に込めていくプロセスを見ています。
本日は、午後から、滋賀県の三方よしの人づくり事業(就職再就職の支援)で、
企業訪問ということで、弊社に2名とコーディネーターさんがわざわざ来てくださったんだ。
企業交流会で、僕が用事があり、お話を聞けずに先に退出してしまったのもあり、
わざわざ、お越しくださって話を聞きたいといってくださりました。
前期の6期生の皆さんとは、企業の課題評価実習で、セッション させていただいた経緯がありますが、
今期の新しい7期生さんとは、全く初めての顔合わせだったんだ。
14時に来てくださって、16時30くらいにおわったから、
2時間半も話をしていた?ようだ。。
(長い話ですいません。)
でも、せっかく来ていただいたのだから、最高の球を投げれるようにといろいろとお話ししました。
いろいろと、感じ取ってくださっている部分もあったようで、
僕もうれしく思います。
最後に、コーディネーターさんから、こんな質問がありました。
「Sさんは、普通の人とは違うということが、理解されないと思うのですが、
”人と違うというのが理解されない”という点についてはどうおもわれますか?」
(確か・・こんな感じのニアンスだったと思います(笑))
確かに・・・・(笑)
僕は、次のように答えた。
「”違う”ということは、肌が黒いのかと白いのかということと同じく、”ただ違う”というだけで、
それがいいとか悪いとかの問題じゃない(別問題である)とおもいます。
ただ、違いが大きくあるということは、それだけ理解されにくいし、理解しにくいことだとは思います。
人に理解してほしいと過度の要求になると、それは、人間関係も破壊すると思いますが、
理解してもらう、理解できるかどうかは、相手次第であり、
僕側でできることは、その人に向けて最高のボールを最高のタイミングで投げることだけです。
それで、相手が理解できない場合もあり、また、受け取っても捨ててしまうこともあります。
ひどいときは、踏みつけられるときもあります。
しかし、その相手の反応が、勘違いや誤解していると思えば、
それに対して、”誤解だ”としっかり伝えることだけが、できることです。
僕は、”違い”というのが素晴らしいことだ思っています。
人と人が大きく違うことは、理解しがたいですが、
それゆえに、たくさん話ができることがある。いくら話しても、話しきれないほどある。
たくさんいろいろといろんな角度から、話することがある。
朝まで語り明かせてしまうほど、たくさんたくさん、語り合える。
それが素晴らしいしうれしいし面白いとおもいます。
何も語らずに長年寄り添ってきた夫婦は、理解しあっているので、
言葉は多くは、いらないのでしょう。
それも素晴らしい。
ですが、僕は、これほど”違う”ということが、話せることがたくさんあって、
うれしいと思い尊重したいと思います。
(だって、全く違う性格や考え方の人間が、何か一つのことをやったりするんですから。)
だから、”違う”ならば、理解され難いけれど、
ならば、通常よりも、”たくさん話してたくさん交流すること”がいるということだけなんです。
たとえば、不理解や誤解において自分の存在を否定されようとも、
だからといって、自分自身そのものがそれで、何か変わるわけではありません。
自分がその言葉に”反応した時”に、そのようになるだけであり、
自分が自分というものをしっかり持って、
その誤解や不理解の中で相手にそのような反応をさせたことは改善していかねばいけませんが、
自分自身のポリシーや思いが、どうであるかはまた別問題です。」
一つの質問に対して、こんな返答をしてるので、
2時間以上もかかるんだなああ。。(笑)
一例として、上げさせていただきました。
可能性を今来られているインターン生にも、7期生さんにも、すごく感じました。
僕は、そういうのがうれしく思います。わくわくします。
かってに、その人たちの未来を見てしまってます。
そちらに向かうかどうかも分からないのに。
あきらめずに、めげずに、自分の存在を否定しないで、
歩んで行ってもらえればとおもいます。
また、機会があれば、いつでも、よってください。