カタルシス効果とは

『カタルシス』という言葉を聞いたことがありますか?

カウンセリングや心理学などのお勉強をされている方にとっては、当たり前の言葉かもしれませんが・・・

『浄化』という言葉の方がピ〜〜ンとくるのかな?

もっと簡単にいうと、スッキリするという感じでしょうか?

Wikipediaによると、アリストテレスが著書『詩学』中の悲劇論に、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」と著したことからの始まりのようです。

 

 

私のイメージでは、濁った水がどんどん濾過されて透き通ってサラサラ流れていく水のようなイメージなんですが・・・

ネモフィラの青の海を見ていると、そんなことを考えてしまいます。

 

誰もが心の内側には、モヤモヤしたものやイライラすることは多かれ少なかれ持っているものです。そんなネガティブな心の状態に溺れかけているときに、先のことを考えたり、未来をポジティブに捉えることはなかなか難しいものです。

 

ネガティブな沼

 

一度ネガティブな沼にハマってしまうと、周りばかりが気になったり、自分だけが取り残されているように感じたり、自分で自分にダメ出しをして、自己効力感も激下がり

 

 

スッキリと晴れ渡った空のように、自分の進むべき道がクリアに見えることが到底無理なような気がします。

かくいう私もその1人です。

50代になったばかりの頃、登山に例えるなら「富士山のてっぺんに行きたいと思っているものの、富士山のてっぺんまでが靄がかかっていて辿り着けない」、なんとも言えないモヤモヤ感があったことを思い出します。

 

 

上ばかりを見上げて、美しい景色を見ることや輝かしい光に包まれていることを想像してウキウキするものの、だからどうするの?と自分を問い詰めてドヨ〜ンダウン

それは一過性で、花火のように一瞬の興奮を得るだけで、その後にやってくる暗闇や火薬の匂いに、虚しい気持ちになる感覚です。

 

私の場合、自分の資質に、着想(妄想族)や戦略性、未来志向にポジティブなどという資質が上位に目白押しで、その資質をフルに活用することに必死だった当時、そうするほどに、自分ががんじがらめになる感覚でした。

 

そうして3年くらいもがいた後に、資質を生きるのではなく、資質を活かすのではなく、自分自身を生きることに気づいたときに、呼吸が深く穏やかになったのでした。

 

終わりが始まり

 

 

30年以上、フィットネスという海を泳ぎつづけていく中で、「前向きであること」「明るくしていること」「笑顔でいること」「成長し続けること」を自分に命じすぎていたのかもしれません。

 

 

元々、運動がすご〜〜く得意だったわけでもなく、

スポーツが大好きだったわけでもなく、

ただ、表現することに興味があった私でした。

子供の頃は、人間関係をうまく作れず、本の世界で想像力を発揮して自分を解放していました。

思春期の頃は、周りが求める自分を演じること(いわゆるいい子ぶりっ子)が、自分の表現として快適でした。

そして、20代になって演劇の舞台で役を演じること、自分とは全く違う人(役)を受け入れて、ロールプレイすることが、自分の表現を飛躍させてくれたように思います。

この頃、役を演じているのが自分なのか?そのとき本当の自分はどこにいるのか?このまま、演劇を続けることは私でなくなるのか?といった訳のわからない沼にハマって、フィットネスの世界に飛び込んだのでした。

 

どんな時も「ネガティブな沼」はやってきます。その沼は、自分が作り出しているということを今ではわかりますが、若い多感な時の私は、環境を変えることでしか、沼の脱出方法を知りませんでした。

何かを終えて、新しいことが始まることの積み重ねだったのです。

 

フィットネスの沼は刺激的

フィットネスの世界に入って、指導を始めたときに、自分でありながら自分の中にあるいろんな役を演じているエンタメ性に刺激をいっぱいもらいました。

80年代のフィットネスの世界は、ファッションの世界と同様に毎年毎年新しいものが出てきて、それに飛びついて、その波に乗って、新しい刺激のシャワーを浴び続けたのです。

 

 

日々の仕事は大変だったかもしれませんが、獲物を追いかけるような夢中さがありました。

この頃の私は、前を向き、先を見据え、前進することのみに価値があり、自分を鼓舞するエネルギーをフィットネスからもらっていたのでした。

太陽の光を一心に浴びたくて、両手をいっぱい広げている感じですね。

ハナミズキの花びらが、当時の私を物語っているようです。

おさんぽしていたら、そんなことを思い出して一人で笑ってしまいました。

 

キャリアが自分を育む

キャリアパスという言葉をご存知ですか?

人が成長していくときに、どのような職務にどのような立場で就くか、またそこに到達するためにどのような経験を積みどのようなスキルを身につけるか、といった道筋のことをいうのですが、スタジオのチーフやマネージャーになったり、養成コースの講師になったり、企業や行政の健康セミナーの講師になったり・・・いろんなことをやったおかげで、経験が豊かになり、その立場で必要なスキルを身につけていった感じがします。

 

 

少なかった花弁が幾重にも重なって美しく咲く花のように、さまざまな経験を通して自分のキャリアに深みと広がりが加わった結果、今日の自分がいる!!ということです。

ただ、60代になって、少し子ども返りをしたくなる自分がいて、

もともと自分ってなんだったっけ?

周りの期待ではなくて、まとった花弁を脱ぎ捨てたら、

自分の芯には何があるんだっけ?

シンプルな生き方って何?

何も求めない心地よさって何?

・・・

なぁんてことを考えだしてから、おさんぽが私のサポートになりました。

おさんぽを通して「浄化」される自分に気づいたということです。

 

求めない生き方

 

 

歩く距離なんて考えない

歩数を稼ごうとも思わない

スピードや運動強度も手放して

ただ、周りの景色や空気、光や風を感じながらセルフトークする

そんな心地よさに、今の自分を見出すのです。

 

 

写真を撮る時も、ファインダーの中に何を見出すのかは自分次第、

1/3構図を考えたり、光の入り具合も考えたりするけど、

バシャバシャ適当に撮る写真にも風情があって面白い。

その時の自分は、子どもになれるから・・・

自分の視点を変えて、動いて適当に撮る面白さ

その時の自分は、知識や情報から解放されているから・・・

 

小さなこととゆっくりなことに気づく

 

自分の中で「変わってないなぁ〜」「もっと変わらなきゃぁ〜」と思い悩む人、多いと思うのですが、

みんな日々変わっているのです。

毎日、髪の毛も爪も伸びるし

肌の調子も変わるし

考えることも微妙に違うし

周りの音や景色もちょっとずつ変わるし・・・

 

それに気づけるかどうか?だけなんです。

小さなこと、緩やかなこと、些細なことに敏感でいると日々の変化が面白く、それを受け取れるようになっている自分の成長に満足度もアップしてきます。

 

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現代人が1日に触れる情報量は江戸時代の一年分、平安時代の一生分とも言われているようです。情報を得るのではなく、情報は、選んで捨てることが大事ですね。

ここに関しては、受け身ではなく、主体的でいたいです。

 

 

だから、漫然とながれてくるSNSの情報に身をまかせるのではなく、どうしても手に入れたい必要な情報を目的を持って探すことに精を出すといいよね。

SNSの情報の沼にハマるのではなく、SNSは伝えたい人に自分を表現できるツールとして価値があることをおさえておきたいと思います。

 

しゃべりんぽしませんか?

 

おさんぽしたい人、声をかけてくださいね。

私はもっぱら、公園さんぽが大好きです。自然の中を歩くのも大好き。

カタルシス体験してみたい方、おさんぽ&おしゃべり(しゃべりんぽ)オススメします。

1人おしゃべり(セルフトーク)も仲間とおしゃべりもOKです。