母が亡くなって丸々20年。
21回忌の命日。
勤労感謝の日が母の命日。
毎年、母とゆっくり話す日。
今年の命日も、心地よい秋空の小春日和でした。
母の戒名が"秋空妙光禅定尼"
生前は、苦労の連続で子供の頃から私は母のカウンセラーのような存在でした。
なので今では考えられませんが、ずっと聞き役で、自分が意見を挟むことなどできず、ひたすら「うん、うん」と聞き役だったのです。
母は、和歌山の女性で何とも情に厚い人でした。困っている人を見過ごせないというか?自分が大変なのに、人の世話ばかり焼いてしまうというか…
それゆえ、裏切られた時の落ち込みと執着も強かったように思います。
ある意味、私は放蕩三昧の父と情に厚すぎる母を見て育ち、反面教師のような性格を身につけたかもしれません。
そんな私もまもなく64歳となり、亡くなった母の67歳に近づきつつあります。
そんな私の中に、父と母の避けていた面を見つけることが多くなってきました。
DNA🧬のなせる技か❓
否定したことのしっぺ返しか❓
わかりませんが、私の中に両親が生きていることに違いないと思うのでした😅
たぶん、お墓を持たないであろう私が亡くなった後は、誰がお話に来てくれるのかな?
母は、現世では曇り空や土砂降りの多い空の下、笑顔満載で人情深く生きた人ですが、亡くなってからは今日の突き抜けた秋空のように、心地よく過ごしていることだろうと思います。
しんどかったことから解放されて幸せであると信じています。
私もまだまだ生きたかったであろう母の67歳以降を引き継いでいくためにも、現世でもう少し誰かのために役立てるようにもがいて、切磋琢磨しないといけないと思う今日この頃です。。。