このお盆の間にいろいろと感じることがあって、今日はブログを書いてみます。

不思議とここ最近、子どもたちや若い人たちと接する機会が増える中で感じたことです。

久々に気持ちのいい子どもたちに出会ったことと、珍しくお行儀の悪い行為に対して叱責をしたことが重なりました。

そのことを通して、自分自身は大丈夫だろうかと改めて考えてみる機会にもなりました。

 
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私自身、振り返って「本当にお行儀がいいんだろうか?」って思うと
まだまだ修行が足りませんので、自信がありませんが、少なくとも他人様にはご迷惑や嫌な気持ちをさせない程度には何とか・・・
自分の子どもであれば、言って聞かせたり、注意を与えたり、時には叱ったり、怒ったり・・・
そんなこともありました。
子どもが成長した中で、他人様のお子さんを叱るのは、なかなか難しいことです。
子どもに対しては、その行為や行動をしたときに注意が必要です。そして、その理由も必要です。
ちょっと私自身の反省は、叱ったつもりが相手の子供の聞き分けのなさや反抗的な言葉にいつもよりちょっと声を荒げてしまったこと・・・結果、叱ったというより相手は「怒られた」と受け取ったということ
でも、自分の子供時代を思い出しても、親に怒られた経験のほうが多く、叱られたという思い出が少ないなぁ~
自分の親も必死で余裕がなかったことを、今になって理解できます。
 
親も感情がありますから、その時の状況で、諭すように叱ることがなかなか難しいこともあります。そんなとき、周りの大人が子供に対してゆっくりと諭してくれたりするわけですが、感情が高ぶっているときは、そんな気持ちや考えにはなれませんから・・・
反抗した子どもの気持ちもよくわかります。
ようやく時間が経って、少し落ち着いた頃に「あ~~、叱られたんだなぁ~」って
 
今回の出来事を通して、
「何故、叱られたのか?」
「公衆の面前で、何故お行儀が必要なのか?」
後からでもいいからゆっくりと理解してもらえたらいいなぁ~と
 
そして、見過ごすことができたお行儀の悪さを、やはりきちんと注意することは、他人様のお子さんであっても必要だなぁ~って
注意される経験、叱られる経験を通して学んでいくこと
怒られる経験、無視される経験を通して傷つくこと
実は、両方の経験が必要だと思うわけです。

 

 

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そして、久々に所作の美しい子供にも出会いました。
先の話もそうですが、食事中というのは、本当にその人となりが出てきます。
私も食事の時のしつけってあまりされた記憶はないのですが、
演劇時代に、監督や演出家から
「もっと美しい食べ方を身につけろ!」
と、言われた記憶があります。
ということは、自分の所作に意識がほとんどなかったということ
そのせいか、食事中の所作の美しい人に目を惹かれます。
箸の使い方、モノを口に運ぶ仕草、会話と食事のタイミング
おもわず
「きれいな食べ方をするね~」
と、褒めてしまいました。
よく「お里が知れる」と言いますが、ご両親の普段の姿が素敵なんだろうなぁ~って想像できます。
 
先のお行儀の悪さも食事中の出来事、所作の美しさに感動したのも食事中のこと
リラックスする楽しい時間だからこそ、他人様の前にいるときの自分自身の行為、行動を意識化におく必要があります。
そして、それは日常の習慣からやってくるもの
家庭での子どもの行為、行動のお行儀の良さや所作の美しさは、親や大人が見せていかなければなりません。
私自身も今一度、自分を見直そうと思うのでした。
 
どちらの子供たちも私にとっては、素敵な子供たちですラブラブ
これからの成長が楽しみでもありますニコニコ