母を亡くして以来、父はよく話をするようになった。
父の若い頃の事。
終戦も近い頃、父は広島、呉の海軍工廠で艦載機(爆撃機)の部品を
作る部署で働かされていた。当時17歳。
空襲警報が鳴るたび、作業をやめて防空壕へ避難していた。
本土決戦もやむなしと覚悟を決めていた春のある日の昼過ぎ。
父は同郷の先輩達と昼ご飯を食べに工場から出ようとしたら空襲警報が鳴り、
すぐに防空壕に避難しようとしたらしい。
爆撃が始まり、機銃掃射の音がバリバリッと自分の身のそばでした。
父はなんとか待避できたが、工場に戻ってみると班長が吹き飛んだ機械に
あたってなくなっていたそうだ。
父もまもなく戦地へ行かされる思いを強く覚悟したその夏。
その八月六日朝、宿舎から出かける準備をしていたら、窓の外から
大きな雷が光ったかのような閃光が見え、しばらくして地響きとともに
どーんと大きな音がしたそうだ。
最近新たな資料が発見され、NHKの特集番組で戦争の負の歴史を
何故日本は戦争へ突き進んでいったのか 検証しているのを見る。
新たな当時の証言等、非常に興味深いものだった。それは、
戦場での悲惨さ飢餓、物資の無さ、圧倒的な国力の違い、
作戦の読みの甘さ、軍費乱調達など多岐にわたり検証していた。
現在も国の債務のなかに、いまだに戦争債務が外務省に残っているそうだ。