020 勝海舟 10 | 陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

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●坂本龍馬と勝海舟の出会い

坂本龍馬が勝海舟の元を訪れたのは文久2年(1862)、勝が咸臨丸で渡米してから2年後のことでした。
咸臨丸での太平洋横断、渡米を成功させた勝の名は、幕府内はもとより、雄藩の志士たちにも広く知られるようになっていました。
しかし、必ずしも好意的に受け止められていたわけではありません。開国を指向する勝は、攘夷を掲げる志士たちの間では敵視される傾向にありました。

「海舟と龍馬の出会については、有名な話がある。攘夷派だった龍馬が開国論の巨魁と思われていた海舟を斬りに行き、逆に説き伏せられて弟子入りするというのである」
(『維新前夜の群像3 勝海舟』松浦玲 著)

当時は、ひたすら外国人を嫌悪するいわば「原理主義的攘夷派」よりも、開国によって力を蓄えて不平等条約を破棄しようとする「開国的攘夷派」が主流になっていました。
外国と戦ってその力を思い知った長州の久坂玄瑞や桂小五郎らも、そうした考えに傾いていました。

彼らは、とにかく外国人を排斥しようとする単純な攘夷論から脱皮して、まずは腰抜け外交しかできない幕府を倒し、諸外国と対等な関係を結ぶことを目標としていました。
その思想的支柱となっていたのが、元は熊本藩士で、当時、福井藩の政治顧問だった横井小楠です。龍馬に勝と会うことを勧め、紹介したのがこの小楠でした。

「横井小楠の論説は、攘夷論者を開国論に脱皮・飛躍させる道筋として、もっともスムーズなものをもっていた。
龍馬は、その線に乗ってきた。一つには、もちろん、柔軟な発想のできる龍馬の天性の資質によるところも大きい」(同)

勝も小楠とほぼ同じような考えでした。しかし幕府の中枢にいたことと、アメリカに渡り通商条約批准に関わったことなどから、単純な開国論者であると誤解されることもあったのかもしれません。
龍馬も、小楠から勝のことを聞き、興味をもってはいましたが、とにかく会ってみなければわからないと思っていたのでしょう。
「斬りに行った」というより、「話の内容によっては、そうすることも心に秘めていた」というのが本当のところかもしれません。

二人の会合の結果はご存知の通り。龍馬は勝の考えに心服し、そのまま弟子入り、ということになります。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
『勝海舟の人生訓』童門冬二著
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