さて。
都合が悪い相手の意見をどう肯定するか。
例えば、友人Aが、あなたの大好きな友人Bの悪口を言っている
例えば、もう家に帰らなければならないのに、二歳児が盛大にイヤイヤしている
このようなときに、
「Bさんて、そんなに悪い人に見えないけど」とか
「もう遅いでしょ、また来ようね」とか、
自分の都合でものを言っていませんか?
こんなことを言われた相手は、自分の意見を否定されたと思い
友人Aなら、貴方にわかってほしくてもっとBさんの悪口をいったり、言うのを我慢したりします。
(改心したわけではなく、単にあなたが理解してくれないので本音を隠しただけ)
2歳児なら、もっとイヤイヤが酷くなるでしょうね。
相手との信頼関係を築きたいなら、ここは肯定してください。
相手のよき相談者でありたいなら、迷わず肯定してください。
「いやいや、相談者にはなりたいけど、
でも、Bさんは悪くないし、日が暮れる前に家には帰らなきゃだし・・・どうやって?」
という疑問がわきますよね。
そこで共感です。(テレレテッテレー:ドラえもん風に)
あなたが出来ないのは「同感」であって、「共感」なら出来るはずなんです。
ん?何いってんの?って感じですか?
では、イラストを使って説明しましょう。
夕べ、なにげなく娘にアンパンマンを書いてあげて、その勢いで書きました。
勢い優勢で字が下手なのはお許しください。
これが同感です。
基準が自分にあるんですね。
このスタンスでいくと、たまたま同じ意見の人なら同感できるけど、そうじゃない人には同感できません。
人を選ぶんです。
同感が基準の人が上司や親だと、どうですか?
報告する話を選ぶようになりませんか?
都合が悪いことは隠すようになりませんか?
全部、自分の本音を話すのが嫌になりませんか?
話しても楽しくないと思いませんか?
自分を理解してくれない、味方になってくれないと思いませんか?
じゃぁ、どうすれば良いか。
こうしてみてください↓

これが共感(肯定)です。
厳密にいうと、まだ共感には今一歩ですが、共感はこの先にあります。
同感との違いがわかりますか?
自分が基準ではなく、相手が基準ということです。
自分は脇においています。
そうすれば、どの人の話も「正解!」なわけです。
これが価値観が違う人を肯定するコツです。
話を聴いてくれる人が、自分を肯定してくれる、まるっと受け止めてくれる人だと、安心して話ができませんか?
信頼関係の根底には安心感がないとダメですよね。
絶対的な安心感・・・最近は親子の間でも薄れているような気がします。
例えば子供が不登校をしようとしている場合
子供が「学校に行きたくない」といったら、まずはそこを受け止めるべきなのに
親が「ダメよ、学校にはいかなくては」と言っちゃいそうです。
この対応だと、子供は親に本音を言いたくなくなります。
どういうコミュニケーションが良かったのか知るのは、
その子が本格的に不登校になってひきこもりになって数年たった頃だったりするわけですね。
だから、もっと早くに子供の気持ちを受け止めて欲しいのです。
話を共感に戻します。
「こんなに相手ばかりにあわせていると、自分がなくなるじゃないか!」と言う人がいます。
本人的には↓

自分の価値観がなくなったわけじゃないんです。
自分のことは脇に置き、相手の話を聴くだけのこと。
僕も君も、あの人も、みーんな違う。
そういう多様性の時代には、そこを前提としたコミュニケーションが必要です。
じゃないと、支援する側(親や上司)もされる側(子供や部下)もキツイだけです。
子供と自分は違う人生だと、しっかり腹落ちさせてください。
ですが、これが出来ない人がいるんですね。
どういう心理状態の人がそうなるのか、続きはまた。
まだ続くのか~。