100均グッズ縛りのコンサート、今回は自作が3曲(しかも全部最近の作品)もありまして、最後の演目も自作となりました。

トリに据えた、というよりも、最後にしか上演できない内容ということです。

そして、この作品だけは、発音体として100均縛りを破っておりまして、バスドラムを使用します。(このリサイタルシリーズ、毎回、ちょっと「それ以外」のものも演奏しておりますので、悪しからず・・・。)

 

バスドラムが必須であるのになぜこの企画で演奏するのかといいますと、本来、バスドラムに、様々な物体を載せていくという作品なのですが、その、載せていく物体を、今回は100均グッズ縛りで行おう、という趣旨なのです。

 

昨年、2021年の12月に人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)が長野県中川村で開催した「美意識のハードプロブレム」という展覧会の、音楽プログラムの一つとして「コンセプチュアル・ウィルス」というお題を与えられ委嘱されました。

当該のコンサートプログラムの概要はこちらで、このページには解説文のpdfもリンクされています

12月12日、NVサウンドホールにてささきしおりと初演、そのときの演奏動画はこちらです。

(完全にネタバレですので、事前閲覧についてはお任せしますが、今回の演奏はだいぶ違うところがありますので、比較して頂いてもいいかもしれません。)

 

 

この日、もう1曲セットで上演された、ささきしおりによるユポドラムのパフォーマンスは、彼女が「ドローイング サウンド パフォーマンス」と称して実践しているもので、今年の7月2日には神奈川県立音楽堂の「新しい視点」に採択されていたりもします。

ユポドラムとは、叩いても破れず、濡れても破れない強度を持った「ユポ紙」を貼った太鼓のことで、スネア、23インチの大太鼓、32インチの大太鼓など、様々な太鼓で実践しています。

この作品は、その彼女の実践であるユポドラムを拝借し、ドローイングとは異なるアプローチを行ったものです。

 

以下に、上記のpdfと同じ解説の内容をペーストしておきます。

 


 

 川島素晴は、1994年より作曲家として「演じる音楽」を提唱し、実践している。従来の作曲家が「音」の連節によりその関係を構築しようとしてきたのに対し、ここでは「演奏行為」の連節として音楽をとらえることで、これまでにない音楽体験を得ようとするものである。

 武満徹の作品に、E. ディキンソンの詩を拝借した《And then I knew ‘twas Wind》という題名の曲がある。日本語では「そして、それが風であることを知った」と呼ばれるものだが、私にはもともと、この題名にあやかった作品として、《And then I knew ‘twas Toccata》、つまり「そして、それがトッカータであることを知った」という作品があった。1998年に作曲したそれは、打楽器奏者がヴィブラフォンで奏でる定型リズムが、アシスタントによって次々と行われる介入により異化するという内容である。ほとんどトレモロのように聞こえる連打音が、実は複雑なリズムパターンになっているということが徐々に明らかになっていくということが、題名の「そして、それがトッカータであることを知った」という軌跡そのものとなっている。

 東京シンフォニエッタの委嘱により2020年に作曲した《And then I knew ‘twas Toccata II》は、そのようなアイデアをヴィブラフォンと室内管弦楽の関係に置き換えたものであるが、今回は、1998年の打楽器とアシスタントによる作品のアイデアを踏襲しつつ、2020年の室内管弦楽作品で用いたリズムパターンを使用している。

 

 

 4分音符に換算すると9拍分、48の打音からなるこのリズムパターンは、最初が16分音符の連打、最後が32分音符(つまり倍速)の連打となっており、最初と最後の間の複雑な変拍子を経て、連打が倍速になる一連の流れと見ることができる。全体としてはほとんどトレモロにきこえるこの高速なパターンの中で、実はその都度倍に変化している過程が繰り返される様は、細胞分裂に準えることができる。つまり、生命のプログラム(DNAの転写と分裂)が繰り返されているようなものと見立てられる。

この上演を通じて、バスドラム奏者(川島)は一貫してこのリズムを演奏し続けようとするが、そこに様々な異物(ささき)が介入することで、そのリズムは変質していく。このリズムパターンを塩基配列の情報と見立てるなら、異物の介入は、さしずめ、その転写を阻害するウイルスと見立てることができるだろう。今回の作品の題名を《And then I knew ‘twas Virus》、つまり「そして、それがウイルスであることを知った」としたのは、このような想定があるからである。

 ささきしおりがバスドラムにユポ紙を貼ってドローイングサウンドパフォーマンスを実践していることを横目で見ていて、この仕立てを拝借することで、バスドラムに様々なオブジェを貼り付けるなど、通常のバスドラムでは実践不可能なことを実現できると考えた。こちらはあくまでも通常の意味での「演奏」のみであるが、今回並べた二つの作品は、バスドラムを用いるソロのパフォーマンスに対して、「コンセプチュアルウイルス」というお題に基づき異物が介入するという外見上の共通点を持つ。しかしそれだけに、それぞれが全く異なるコンセプトによる音楽実践であることを浮き彫りにするであろう。

 ウイルスに侵された以上、「マスク」は不可欠である。

 


 

12月の初演は、最後、黒布に覆われて終わったのですが、今回は100均グッズ縛りということで、そうはなりません。

また、あらゆる100均グッズのオブジェが積み上がった先に、奏者自らがオブジェと化す、という視点を加えました。

 

ご時世ゆえ、終演後のご挨拶は控えさせて頂きます。。。

 

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