2020年12月3日(木)、東京シンフォニエッタによる委嘱作品《And then I knew 'twas Toccata II》が初演されます。

武満徹生誕90年企画で《雨ぞふる》《雨の呪文》《系図》に並んでの上演ということで、様々な意味で武満徹へのオマージュとなっています。

 

 


 


 

まず、チラシ裏面に寄せた文章を転記します。

 

今から30年前。武満徹が還暦を迎えた1990年は、史上最大の武満イヤーだった。その年にたまたま浪人生となり時間を持て余していた私は、全作品を聴き、数多あるイベント(コンサートのみならず映画上映やトークに至るまで)のほとんどに出かけるほどの武満オタクだった。私の活動が軌道に乗った頃に亡くなったので、生前お話することも叶わず、今なお憧れの存在であり続けている。その後様々なアニバーサリーの機会に楽譜の研究やコンサート企画で向き合ってきたが、この度、生誕90年にしてようやく、作曲家としてご一緒する機会を賜った。

新作の題名は武満の「そして、それが風であることを知った」を下敷きとする。今の私の作風は武満のそれとはほど遠いが、武満オタクだった頃から30年を経て、今の私にとって彼の存在は「風」なのだと思い至った。新作における無窮的「トッカータ」の中に宿る武満の「風」を、感じて頂けるはずである。

 

少し補足しますと、生誕70年の2000年にはライブラリアンを務めていた「紀尾井シンフォニエッタ」(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)のオール武満プログラムの解説を担当、その公演はCD武満徹作品集となり、ブックレットにもそのまま掲載されました。また、そのときに《弦楽のためのレクイエム》のスコアやパート譜の検証作業を行い、上演用に自ら浄書し直したりもしました。その経緯は「ExMusica」誌に論文として執筆。本作のその後の研究の発端を担いました。

更に、没後10年の2006年にはプログラムアドバイザーを務めている「いずみシンフォニエッタ大阪」でも武満プログラムを行い選曲や解説文を担当、同年には「うた」全曲を私自身の即興編曲で伴奏するライヴを行うなど、ことあるごとに関わり続けておりました。

 


 

次に、当日のパンフレットに寄せた解説原稿を転記します。

 

 題名は、武満徹の「And then I knew 'twas Wind」が下敷きになっている。これは元来E. ディキンソンの詩からの拝借で、日本語では「そして、それが風であることを知った」となっている。したがって、本作を邦訳するなら「そして、それがトッカータであることを知った」となる。
 冒頭の、ほとんどトレモロのように聞こえるヴィブラフォン。これは実は、とあるリズム型になっている。全体が徐々に減速していく(といっても一番遅い状態でもかなり速い)ことにより、やがてそれがトッカータであることを知るに至る、という趣向。 

 トッカータは従来、高速なパッセージが自由に展開していく楽曲形式だが、ここでは常に、2/8、2/8、3/16、2/8、9/32、10/32、9/32、2/8、3/16という9小節からなる一定のリズム型が繰り返されている。16分音符4連打にはじまり、毎小節異なるリズムを経て32分音符6連打に帰結するリズム型は、その循環の中で常にエントロピーの増大を指向することになる。
 全体に、16分音符24個、32分音符24個、計48の打点、32分音符72個分の音価からなるこのリズム型は、2つの観点で分解される。
 僅かずつ減速しつつも常に一定のリズムを打ち続ける打楽器やピアノによるパートは、48個の打点を、まず2個ずつのまとまりとして24の部分に分解、以後、3個、4個、6個、8個、12個、18個、24個とまとめることで、それぞれ16、12、8、6、4、3、2の部分に分解する。
 それに対して、その他の楽器群は、まず18倍に拡張した音価(2分音符+8分音符)でこのリズム型を演奏、以後、12倍(付点4分音符)、8倍(4分音符)、6倍(付点8分音符)、4倍(8分音符)、3倍(付点16分音符)、2倍(16分音符)、と拡張率を下げていくことで、徐々に加速していく。
 それぞれのリズム型が合致することで、トッカータは新しい「うた」に至る。この軌跡そのものが、武満徹の音楽を意識したものであることに加え、本作で響く和音は、武満徹の創作史を辿るものになっている。

 

この中で説明されている「定型リズム」は、以下のようなものです。

 

リハーサルの合間に板倉康明さんとのお話をさせて頂いた動画が、次の東京シンフォニエッタのアカウントでツイートされています。

 

 

 

 

 

この動画でも少し述べたのですが、解説に書いた「武満徹の創作史を辿る」とはどういうことかと申しますと、定型リズムの一巡ごとに、1949年から始まる武満作品を1年1曲ずつピックアップし、その「響き」が用いられていきます。
どの曲の響きなのかについては、ネタバレが過ぎますので事後にお知らせしようかと思いますが、最後は絶筆《ミロの彫刻のように》まで辿り着くと、この公演のプログラムであある《系図》に戻り、6つの部分からなる《系図》の各セクションから一つずつの「響き」がきかれます。

一人の作曲家へのオマージュとして、その創作史を辿り、最後は家族や人生を描いた《系図》の「とおく」まで至ると、その先には、私自身の旋律構造がリズム構造と合致して顕在化し、トゥッティに至ります。そしてそれは「鳥」に覆われて冒頭に回帰します。

 

武満ファンの皆様は、「あ、あの曲の響きではないだろうか」と、色々とお気付きではないかと思いますし、そうではなくあまり武満作品に馴染みがない方でも、その響きの変遷(徐々に厳しさを増していき、再び柔和な響きに還っていく)を通じて、その人生の軌跡を感じ取って頂けるのではないかと思います。

 

もちろん、《系図》以外の、当日の演目《雨ぞふる》と《雨の呪文》も登場します。(これらは同年の作品なので、ここだけは例外的に1年に2曲を設定しました。)

 

こういった趣向ですので、このコンサートを生演奏で体感して頂く中で、本作をお聴き頂ければ幸いです。
(もちろん、充分な対策を講じた上で、ご無理をなさらないよう・・・)

 

 

なお、武満徹の響き以外の部分(ヴィブラフォンとピアノで延々と繰り返されるリズム定型等)の構造は、昨年発表した《會曾リズム》に基づきます。

 

 

この作品についての詳細は、こちらに投稿してあります。
この曲のヴィブラフォンは譜めくりができないほど全く休みなく弾き続けますが、本作では時折ピアノにバトンタッチするので譜めくりはかろうじてできます。しかし、大変な難曲であることにはかわりありません。松倉利之先生の華麗なヴィブラフォンをお楽しみ下さい。

 

そして、同じ題名の《And then I knew 'twas Toccata》の「I(1番)」に相当する作品は、こちらのヴィブラフォンソロ(+アシスタント)の作品となります。

 

 

こちらの作品については、2016年の再演時のエントリー及び2018年の個展(この動画のときです)についてのエントリー等もご参照下さい。(この作品の演奏者、神田佳子さんは、松倉利之先生の門下生でもあります。)
リズム構造も若干異なっていますし、作品全体のアイデアも全く異なりますが、おおもとを辿ればこの作品が原点ということになります。

 

ご興味があれば、今回初演される室内管弦楽作品と、ぜひ聴き比べてみて下さい。
(全く違う作品になったことがおわかり頂けると思います。)

 

なお、今回、東京シンフォニエッタで初演される《And then I knew 'twas Toccata II 》の準備段階で、アマゾンプライムで観られる武満徹が音楽を担当した映画の一覧(その1 その2)を作成しました。
こちらも併せてご覧下さい。