2020年9月17日の「川島素晴 works vol.4 by 木ノ脇道元」の、後半部分の曲目解説です。

 

木ノ脇道元さんによって今回「作曲」された「Exhibition 2020」については、前半部分の解説に記載されているのでここでは割愛します。

 


 

◆川島素晴/スケルツォ(ベートーヴェン「第9交響曲」による)(1997)
      [Fl(+Pi), Per, Performer]
 

1997年の12月、埼玉県立近代美術館の委嘱により足立智美が企画した、ベートーヴェンの第9交響曲を様々なアプローチで上演する「みんなのうた 〜もうひとつの第9〜」(足立智美によるプログラムノート)というものの第2楽章の部分を担当した。例えば第4楽章を担当した足立自身は、第9をヘッドフォンで聴く10名程度の公募参加者がそれをきいて発声する行為をコンダクティングする、というような具合に、およそまともな上演でなかったことは言うまでもない。その中にあって、私が担当した第2楽章は、原曲にほぼ忠実に「編曲」したという意味では、極めてまともな内容だったと言えよう。

 

ベートーヴェンの同曲の第2楽章において、冒頭、トゥッティで奏でられるオクターヴ下行のテーマが、ティンパニのF-F(ファ-ファ)のオクターヴによって叩かれた瞬間の当時の聴衆の衝撃ははかり知れない。何せ、主音、属音を担当するはずのティンパニが、楽章間にわざわざチューニングをし直してオクターヴにセットして、第3音(ニ短調のファ)のみを奏でるのだから。(今日では全楽章の上演に際し4個のティンパニを用意するのが通常だが、当時は2個のチューニング変更を行っていたはずである。なお、ベートーヴェンは第8交響曲最終楽章でもF-Fのオクターヴチューニングを実行したが、それは主音なので本作ほどの大胆な発想ではない。)冒頭のこの大胆不敵な提示がやりたいがためにこのようなティンパニのチューニング設定をしてしまったせいで、その後のスケルツォにおけるティンパニは、通常のティンパニ書法とはほど遠い、奇妙なオーケストレーションであることを余儀なくされている。(そしてF音がはまる調の部分では、半ばやけくそのようにソリスティックにこのオクターヴ主題を叩きまくる。)他での均衡を捨ててまでしてこの冒頭のオクターヴ主題をティンパニに担当させたベートーヴェンの前衛ぶりに、今日、匹敵する方法は何か。

そこで私はまず、ピッコロとフルートという、オクターヴ違いの楽器を瞬時に持ち替えるという設定(ピッコロを首から下げ、フルートをスタンドに取り付けるという荒わざによりようやく実現する)を用意した。場合によっては両楽器とも片手持ちで、片手で演奏可能な特殊な運指を駆使して楽器移動によるオクターヴ主題を実現する。

一方の打楽器は、神田佳子の所有楽器のうちオクターヴに設定可能な楽器を並べて、基本的に本作におけるオクターヴ主題を常に2個セットで叩けるようにした。

 

ニ長調、2/2拍子のトリオ部分で自然ホルンがハンドストップで順次進行の旋律を担当する箇所もまた、大胆不敵である。これに匹敵する方法として、フレクサトーン等によって無理やり奏でる旋律を宛てがった。なお、この旋律は終楽章「歓喜の歌」の旋律を示唆するものだが、更に言うと、スケルツォ部分においてもニ長調の部分では第4楽章を示唆する要素を備えている。このことを、突如「歓喜の歌」を歌い出すことによって顕在化している。


以上のような措置の結果、この音楽に見られるベートーヴェンの前衛性を顕わにし、さらに、2楽器に凝縮することで音楽構造が換骨奪胎し抜け殻になったような状態であってもまだ残存する美を炙り出す。

(このように、楽曲への学究的アプローチの結果生じる拡張を主体とするトランスクリプションの態度は、ディーター・シュネーベルの姿勢に倣うものである。)

 

1999年の「木ノ脇道元フルートパフォーマンス」での再演以来、21年ぶりの上演となる。

 


 

◆川島素晴/「パリで1998-記憶と縁」抄 (1998/2020 組曲版初演)
      [Fl(+Bs,Pi,Al), Pr-Pf]

 

1998年にパリで開催されたダンス公演のための音楽として、まず、アルトフルートとプリペアドピアノのための音楽「エスキス」を作曲し、録音した。そしてそのダンス公演のライヴでは、私がピアノや太鼓を、木ノ脇道元が各種フルートを演奏し、もう1名、女性ダンサーと併せ、それぞれ複数の役割を(本格的な衣装を複数着替えたりしつつ)演じながら舞台を展開していく内容であった。イサドラ・ダンカン、ポール・クローデル、カミーユ・クローデル、オーギュスト・ロダン、セルゲイ・エセーニン、アルチュール・ランボーという、20世紀初頭の同時代を生きた6名のキャストを3人がそれぞれ2役ずつ演じ、それぞれを音楽的特徴によって表象しつつ演じていく。動きながら演じる必要があるため、木ノ脇道元は多くの部分を暗譜で演奏しなければならないなど、相当に過酷な現場だった。(他にフランス語によるナレーション役を、現在、指揮者として大活躍している阿部加奈子が演じた。)

それぞれの音楽が融和していき、最終的に録音していた「エスキス」に至り、キャストたちは舞台の清掃係という、現在の時点に立ち戻る。6名が当時、1998年のパリで再び出会おうと約束をしていた、という設定である。

 

「エスキス」のみの上演は、これまでにも1999年の「木ノ脇道元フルートパフォーマンス」や2005年のアンサンブルボワ公演(フルート:多久潤一朗)などで行ってきたが、それ以外の本編は(1999年に東京でスライド上映等が行われたのを除いて)日本で上演したことはない。

今回、木ノ脇道元との1990年代におけるコラボレーションを振り返るにあたり、この、二人のみで演奏し、同時に演じたりもした舞台の抜粋を、この機会にぜひ上演したいと考え、組曲とした。

舞台での上演は通常のピアノを使い、録音ではプリペアドピアノを使っていたわけだが、それを連続上演する設定にした結果、通常のピアノとプリペアドピアノを持ち替えるという、極めて贅沢な設定となってしまった。(今回のように、他にもそれぞれのピアノを用いるようなコンサート条件でなければ成立しない演目である。)

どの音像が誰を表象するかなどは、敢えて述べずに、純粋に音楽作品としてお楽しみ頂きたい。

 

(9月21日追記)
上演が済み、質問を受けたりもしたのでタネ明かしをしておくと、
・冒頭の三和音の伴奏による4拍子の音楽がイサドラ・ダンカン

・そこに重なるバスフルートの音楽がオーギュスト・ロダン

・ロダンに重なる三和音の変拍子の音楽がカミーユ・クローデル
・そこに重なるフルートによる走句の音楽がポール・クローデル
・川島が太鼓ソロで演じた音楽がアルチュール・ランボー
・ピッコロの連打が特徴の音楽がセルゲイ・エセーニン

であった。

終盤、これらの要素が相互に影響しあい、融和していった先に、アルトフルートとプリペアドピアノによる「エスキス」の音楽に至る、という流れになっている。

 


 

◆川島素晴/木道 (2020/新作初演) [Fl (with Theremin)]

 

木ノ脇との1990年代におけるコラボレーションを総括してみれば、フルート音楽の可能性をほとんど汲み尽くしており、これ以上付言すべきことを見出すのはなかなか難しい。もちろん、さらに低音域のフルートなど、挙げれば色々と挙げられるだろうが、今世紀に入ってからというもの、様々な作曲家や演奏家がそれぞれに探求してきたことまで網羅的に参照するなら、もはややり残したことなどないのではないだろうか。

 

そこで、テルミンとフルートを同時演奏する設定ということを思いついた。

私の知るかぎり、このような演奏を実践している人物はいないようである。

(ご存知の方がいたらご教示願います。)

 

ここでの実践は、テルミンという発音原理をもった物体に初めて接した人物が、これをどのように扱うか、という試行である(その意味では私の《孤島のヴァイオリン 》(1991)*や《孤島のチェロ》を継承している)が、しかし、それと同時に、この人物は、フルートを達者に演奏する人物であるという、なかなかあり得ない、矛盾をはらんだ設定となっている。

 

この作品の「木道」という題名は、もちろん、木ノ脇道元の名前に由来する。
(本公演のチラシのイメージも、この題名とシンクロしている。)

しかしそれだけではなく、テルミンを前に、ひたすら前に向かって歩いていく求道者の姿を、木道という、一本道を進む姿に重ねたものでもある。

 

 

 

*《孤島のヴァイオリン》(1991)川島素晴による2007年の演奏動画

 

*《孤島のヴァイオリン》(1991/2019)尾池亜美による2019年の演奏動画

 


 

◆川島素晴/フルート協奏曲(cond.act/konTakt/conte-raste II)(1999)
      [Fl solo, Cl, Vn, Vc, Per, Pf, Cond.actor]

 

私の「視覚と聴覚の齟齬」の実践の一つとして、アクターと指揮者を合わせた造語である「cond.actor」というものがある。

純粋に視覚的な動きのみを演じる指揮者という存在は、極めて高度な音楽的素養と表現力を備えねば実現できない身振りを実践しているにも関わらず、それ単体では単なる「動き」でしかない。このことに着目し、指揮の表現を様々な仕掛けで異化する系譜であり、英語、ドイツ語、フランス語の造語による題名が、その意図、性質等を端的に表している。

本作の場合は、そこにさらに、フルート奏者が奏でるモーツァルトと、指揮者が奏でる複雑な変拍子の音楽が対峙し、室内アンサンブルを奪い合うという設定が加わる。

 

冒頭、チューニングシーンから開始し、それが徐々に「チューニング・ヴァリエーション」の様相を呈していく。

複雑な変拍子の設定は毎回同じものであるが、音楽は徐々に複雑になっていく。

するとそこに、Aの音から開始するモーツァルトのフルート関係初作品の断片が聞こえてくる。

・・・あとは、見てのお楽しみ。

 

1999年にハノーファー・ビエンナーレの招待作曲家として招かれ、委嘱作品として作曲。ロバート・HP・プラッツの指揮、カリン・レヴァインのフルート、アンサンブル・ケルンの演奏にて初演された。

 

 

その直後、「木ノ脇道元フルートパフォーマンス」で日本初演し、そのときの録音はCD「ACTION MUSIC 川島素晴」にも収録している。

(今回の上演メンバーとほぼ同じで、異なるのは、ピアノ:新垣隆、チェロ:岩永知樹。)

その後、2000年のACL横浜大会に入選しアール・レスピラン(フルート:田中隆英)とともに上演。
他に2006年のアンサンブル・ボワによる川島個展(フルート:多久潤一朗)、
2009年の国立音楽大学「聴き伝わるもの、聴き伝えるもの」(フルート:菅井春恵)
で上演してきたが、木ノ脇道元との上演は日本初演以来となる。

 

なお、2004年には、いずみシンフォニエッタ大阪の定期公演で室内管弦楽版を上演した(フルート:安藤史子)が、ここでは cond.actor パートを飯森範親が担当、私以外の、いわゆる専門の「指揮者」が cond.actor パートを演じた唯一の例となった。


その頃に書いた、本作についてのより詳しい解説はこちら。上演歴、リズム構造等、かなり詳しく解題されている。

 

(今回、企画段階では、今回のコンサート出演者の中で本作の降り番であるファゴット、トランペット、トロンボーンを加えたオールスターキャストでの編作を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、リハーサル、本番での奏者間の距離を考慮して断念した。)

 


 

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「川島素晴 works vol.4 by 木ノ脇道元」曲目解説(前半)

 

木ノ脇道元による川島素晴評

 

川島素晴による木ノ脇道元評