明日、2020年8月30日に、サントリーホール・サマーフェスティバル2020にて、サントリー芸術財団委嘱作品《管弦楽のためのスタディ「illuminance/ juvenile」》を、自らの指揮により初演致します。

 

<チラシのうち、一柳慧プロデュース部分>

<その中の8月30日の部分>

 

杉山洋一さんと一柳慧さんとの並びは、2017年に「第2回 一柳 慧 コンテンポラリー賞」を同時に受賞させて頂いたとき以来となります。受賞から3年、ご期待に沿う内容を提示できるか否かと問われているかのようで、身の引き締まる思いです。

 

しかしながら、私の作品は、今回のフェスティバルに向けての新作ではありません。2014年に誤認且つ不当な逮捕により演奏会をキャンセルせざるを得なくなった事件があり、6年間ものあいだ、お蔵入りとなっていた作品です。

 

作曲年が「2014/2020」となっていますが、今回の初演に際して、新型コロナウイルス対策として弦楽器の人数を [14-12-10-8-6] から [12-10-8-6-5] に縮小しました。元のスコアでは(第1楽章において)14人全員が異なる音を弾いている箇所などもある他、分割した際の人数が少なくなることなどを考慮してかなりの部分を調整しましたが、作品の内容そのものはほとんど変わっていません。(管楽器、打楽器、鍵盤楽器は全く手を入れていません。)

あとは、いわゆるミスを修正したのが何箇所か、また、第2楽章での演出等に若干の追記をしましたが、内容の変更はほぼありません。
実は、告知段階では、様々な部分で修正を入れる可能性を検討していましたが、はからずもコロナの問題で弦楽器の修正作業を余儀なくされたために、そちらに注力することになりました。それにより、その他の修正をする余力がなかったということもなくはないのですが、しかし、6年ぶりに見た6年前の自分の筆を信じようという気持ちになったということの方が強いです。
 

6年越しの初演が叶うこと、今回のプログラムに選曲して頂いた一柳慧さんをはじめ関係各位に感謝致します。

 


 

解説文につきましては、今回のパンフレットに掲載されている内容は公式サイト上にてpdfファイルで閲覧できます

 

その内容は、与えられた文字数内で書いた短い内容ですので、このエントリーで、2014年当時に執筆した「お蔵入り」原稿の全文を掲載しておきたいと思います。

 


 

シェーンベルクが自由無調を開始してから既に一世紀を経てもなお、依然として、新ウィーン楽派以来の難解なクラシック音楽を総称して「現代音楽」なる語が用いられている。いい加減、この自己矛盾に満ちた呼称はやめようよ、という声はこの数十年叫ばれてきたように思うが、それでもなお、この語と、それをとりまくネガティヴな印象(「暗い」、「重い」、「難解」、「辛気臭い」……etc.)は、聴衆の大多数に継続的に残っている。

 

もちろん私は、それが単なる先入観であることを知っている。ライヒが難解? ドナトーニが暗い? ……そんなわけがない。1970年代くらいから見たって、「明るく楽しい」現代音楽なんて、沢山生まれている。そう、だから今日、敢えて「暗くて難解」な音楽を書きたくて書いている現代作曲家なんて、いませんよ! ……と、声を大にして言いたいと思っていた。

 

しかし、である。

 

私がこのような問題意識を明確に持ちはじめたのは、例えばダルムシュタット現代音楽夏期講習会に参加しはじめた20数年前に遡るであろうか。1990年代だったその当時も、ポストモダンはどこ吹く風、そのような「現代音楽のメッカ」のような場所では、「暗くて難解」な音楽を、どうやら「わざと」書いているかのような作曲家が多数見られた。「この人たち、本当に、これ、面白いと思ってやってんの?」という疑問がもたげるが、しかしそういうのに限って、高評価だったりする。だからみんな、そういう感じの音楽を無理にでも作ろうとし、器用な人間は、好きでも嫌いでもなく、評価されるままにそのような音楽を量産できるエクリチュールを見につけ、仕事として生計を成り立たせる。どうしてもそのような音楽を書くのが嫌なら、懐古趣味に陥るか、クラシック音楽業界から足を洗って商業音楽の道を歩くか、教育者に専念するかしか道はない。

 

私は、そのどれも嫌だった。決して、懐古趣味や商業音楽には向かいたくなかった。創作者である以上、新しい表現を提言していきたい。だから現代音楽の作曲家を志したわけだが、しかし、現代音楽業界の評価が高いからといって、自分が好まない、辛気臭いだけの時間を提出したいとは思わない。だからこれまで、「演じる音楽」を提唱し、自分の好き放題、新しく、興味深いと思うことだけをやってきた。だからたぶん、その手の現代音楽界の中では浮いた存在であった。

 

20年前の当時、アウトサイダーであった私は、いつの間にやら大学の職なども得て、ちょっとはアカデミーの内部にも居場所を持つようになった。しかしどうやら、未だに、私のようなあり方は、アウトサイダーのままであるようだ。あれから20年、「現代音楽のメッカ」のような場所での「現代音楽」のありようは、本質的に何も変わっていない。「暗くて難解」なのが「現代音楽」だという時代は、1970年代に終焉を迎えたと思い込んでいたら、どうやら、それは今でも続いているようである。

 

私はこの作品で、多くの聴衆にとって、「明るく」「楽しい」と思えるような「現代の音楽」を書こう、と考えた。「明るく」「楽しい」だけなら簡単である。しかしそれでいて単に保守的なのではなく、既視感のない、真に今日的な「現代の音楽」であることを成立させるのは困難である。

 

更に、この作品で私自身に課した課題は、現代音楽にありがちな特殊奏法や特殊楽器を極力排除する、ということである。「現代音楽」は本質的に変わっていないとはいえ、それなりに進歩はしてきている。音のマテリアルに限定して言えば、奏法開発、これまでに用いられてきていない素材、新しくできた簡易楽器等の投入により、一聴して「新しい」音響を紡ぐことに成功してはいる。しかし、本質的な新しさがない今日にあって、そのような素材を投入することは、逆にある種の既視感を助長する。「ああ、またこの手の音響か……」と、(私のように新しい音楽を沢山聴いている方がむしろ)思わされてしまう。

 

少なくとも、管弦楽が通常のレパートリーとしている20世紀初頭までに登場する奏法、楽器を用いるだけで、新しい表現の可能性はあり得ないのだろうか?

 

この挑戦は、私にとって、むしろ果敢な、ハードルの高い取り組みとなった。

 

 

○第1楽章「illuminance」———物理学・光学でいう「照度」の意味。

 

「音」は、光らない。にも関わらず、我々は、「明るい音」等の用語によって、音の明るさを表現する習慣がある。何をもって「明るい」と感じるのかは、実際には人それぞれであろう。生活環境や聴いてきた音楽等によって左右されるはずである。しかし、その度合いや光の様態が様々に変化する様をとらえるなら、それらの変化を共有することはできるはずである。この章では、主として自然界に存在する様々な「光の現象」をテーマに据え、20種類の響きを紡いでいく。
(*各項目に付記したコメントは、2020年、今回投稿するに際して加筆)
 

◆「燦めく鳥」
  燦鳥(サントリー)で開始するのは委嘱財団への謝意である。想像上の「燦めく鳥の鳴き声」にインスパイアされた4群の掛け合い。メシアン、吉松、といった鳥を扱った先人たちと異なるアプローチを模索している。

 

◆「乱反射」
  様々な方向性を持つ光の乱反射を描く。

 

◆「閃光」

  フラッシュライトの様々なオーケストレーションの試み。

 

◆「流星群」

  点在するチェレスタの音を起点に弦が下降glissandoを示す。

 

◆「太陽柱」

  E音の持続(天の象徴)から地上に垂直に降りる光の柱を、徐々に密度を増す下降音型が示す。

 

◆「裏後光」

  反薄明光線の意味で、今度は地上から上空へ放射状に拡がる光を表現。低音から積み上がるスペクトルの変化。

 

◆「オーロラ」

  波状の帯を、揺らぐポルタメントの音の帯で。

 

◆「月暈(つきがさ)」

  月の周りに円形に現れる幻想的な光の環を、シンギングボウルの響きに誘発される音響で。

 

◆「クラゲ」
  水中に浮遊するクラゲの群れを、ワウワウミュートや弦楽器における実音とハーモニクスの変換効果等で。

 

◆「蛍」

  ホタルの光の明滅を、ハープのポルタメントにはじまる様々な楽器により点描。

 

◆「ダイアモンドダスト」
  繊細な光の塵を、様々な奏法による微細な点の群で。

 

◆「白夜」

 「白」だけに白鍵クラスターによる和音。透徹した光と寒さの表現。

 

◆「微かな炎」

  クラリネットの最低音域、コントラバスのハーモニクス、チェレスタの最低音域の合成。

 

◆「雪明り」

  練習用ミュートにより最弱音に抑えられた金管アンサンブルのハーモニー。

 

◆「曙光(しょこう)」
  夜明けの光を、木管と鍵盤打楽器のarco奏法で。

  

◆「灼熱の太陽」

  強烈なトゥッティのトレモロの音響の中、ピアノの和音が炸裂する。

 

◆「木漏れ日」

  ピッコロ、オルガニート(手回しオルゴール)等による点描。
  *オルガニートについてはこちらで動画で解説・実演しています。

 

◆「天の川」

  木管、鍵盤群による下降音型の中、高音弦楽器によるこの楽章中唯一の旋律らしい旋律が響く。

 

◆「魚群」

  白鍵音階のみによる音階や分散和音が重なりあって群れをなす。

  

◆「虹」

  自分なりに、虹の見える分光効果をオーケストラ上で実践。

 

……これらのイメージが紡がれ、そして織り成していく。様々な「明るさ」があるので、相対的に「暗い」と感じる瞬間はあるかもしれないが、基本的に光の様態を描くスタンスを維持することで、多くの聴衆にとって「明るい」と思える響き(であり且つ極力既視感の無い響き)を実行したつもりである。

 

 

○第2楽章「juvenile」———幼年性、少年・少女向けの、といった意味。

 

万人にとって「楽しい」と感じる表現というのは、甚だ難しい。とりわけ、ある一定年齢を超えた場合、特定の社会性を前提にすることとなり、属するコミュニティ等によって「楽しい」という感覚には差異が生じてしまう。

そこで私は、この章で行う音楽的事象を、子ども目線で純粋に楽しいと感じるであろう素材に限定することにした。そして気付いたのは、そうすることで、むしろ、音楽作品としては「新しい」試みを多数含むのである。

教育を経た因習的表現では辿り着かない、純粋に音や楽器に向う気持ちの果てに生じる愉悦。例えば、管弦楽の前に立ちはだかる指揮者という存在は、よく考えてみれば、それだけでもおかしなものである。

この章では、更に前述(*)のような「cond.actor」としての指揮者を通じて、様々な音による「遊び」を繰り広げる。
(日本では古来、音楽演奏のことを「遊び」と称していた。楽器を奏でることは玩具をいじるのと同義であり、合奏は、例えばスポーツやゲームを皆で楽しむのと同義だった。いつ頃から「演奏」なる語が用いられ、「遊び」と区別されるようになったのであろう。一方で外国語を見渡すなら、例えば英語の「play」やドイツ語の「Spiel」は、今日においても「遊び」と「演奏」両方の意味を共有している。「演奏」とは即ち「音で遊ぶ」ことだという感覚は、古来、世界共通の感覚であるはずだ。)


先入観を捨てて、指揮者の身振りと、音、出来事の一部始終を、注視して頂きたい。

 

*この楽章についてはネタバレ回避で本投稿では詳述を避けていましたが、初演翌日、内容詳細と解題を改めて投稿致しました

 


 

*2014年の個展パンフレット内では「cond.actor」の項目が先行して記載されていましたが、ここでは最後に追記します。

 


 

「視覚と聴覚の齟齬」の実践 ―「cond.actor」

 

私の創作におけるもう一つの(パンフレット内では先行して「演じる音楽」の3つの構造視点と「笑いの構造」について記載されていました。ここでは割愛します)重要な視点として、「視覚と聴覚の齟齬」という問題がある。端的には、視覚的情報と、聴覚的情報に食い違いが生じることである。
具体的には、例えば、視覚的に周期的パルスを叩いているかのように継続した腕の動きがなされる中、実際に叩く瞬間と、実際には叩かない瞬間があることで、聴覚的には周期的パルスには聞こえない、といった具合である。このことを意識的に実践した最初の作品は、テーブル一つを叩くパフォーマンス作品《視覚リズム法 I a》であり、「演じる音楽」を最初に実践した《夢の構造III》と同じ1994年12月に発表された。


そのような取り組みを発展させたものとして発表したのが、指揮者と打楽器奏者1名、計2名のみによる《cond.act/konTakt/conte-raste I》(1996)である。ここでは指揮者を「cond.actor」と称し、演技的要素も取り込んだ動きを行う。

「cond.actor」の可能性を探求した作品はその後も継続的に作曲されており、以下のような系譜となる。
 

・フルート奏者と室内楽を伴う《フルート協奏曲(cond.act/konTakt/conte-raste II)》(1999)
 

・その室内管弦楽版(2004)


・無伴奏「cond.actor」のための《cond.act/konTakt/conte-raste III》(2007)


・2名の「cond.actor」と二重奏のための《cond.act/konTakt/conte-raste IV》(2009)

 

・及びその編作版《cond.act/konTakt/conte-raste IVb》(2019)

 

・6名の邦楽器奏者と6名の演者のための《手振りの遊び(cond.act/konTakt/conte-raste V)》(2010)
 

・・・このように、様々な編成で実践してきたし、その他の作品中においても、指揮者に演技的な要素を求める部分を含むことは多い。

今回初演する作品における第2楽章「juvenile」は、その取り組みの集大成となる。

 

 


 

最後に、サントリーホール サマーフェスティバル2020 公式サイト内で紹介されている、私の作品に関する記述等のリンクをまとめておきます。

 

サントリーホール サマーフェスティバル2020 公式サイト

 

今回のパンフレットの解説文pdfファイル

 

沼野雄司による新作に関するノート「6つの委嘱新作ーアヴァンギャルドの行方」

 

一柳慧インタビュー(聞き手:松本良一)

 

・一柳慧と片山杜秀による対談音声、私の作品についての部分