<演奏>

エレキギター:山田岳

 


 

冒頭に述べたように、このコンサートは《ギタ・セクスアリス I 》に始まり、《ギタ・セクスアリス II 》で終わる。

 

2014年にギター独奏曲《ギタ・セクスアリス I 》を作曲してから5年。

今度は、山田岳によってエレキギターの新作が委嘱された。

 

日本現代音楽協会が主催する、リサイタル公募シリーズ「ペガサスコンサート」の初年度入選コンサートとなった

「独奏楽器としてのエレクトリック・ギターそしてその可能性をめぐって」

と題された公演のための新作である。

 

2018年度には国立音楽大学「ワークショップ」に登壇頂き、その流れで《バターパンマン》(2019)が書かれたことを既に述べたが、この2018年度の「ワークショップ」では、エレキギターも解説して頂いていた。

果たして、どんな曲を書こうか・・・?

 

熟慮の末、《ギタ・セクスアリス II 》とすることにした。

前作で使用したリズムパターンは全く同じものを使用している。

全く同じ題材によりエレキギターのために作曲するということは、前作で行わなかったことの中で、よりエレキギターに適した演奏内容を探求することになるだろう。

その結果、我ながら、《 I 》とは全く異なる内容の楽曲になったと自負している。

 

例えば、エレキギターは、ハーモニクスがとてもしっかり響くので、下記のような部分を作ることができた。通常のハーモニクスの節ではない部分を押さえることによる、重音(ダブルストップではなくマルチフォニック)の効果である。

 



 

また、趙高次倍音の使用、自然倍音のみによる微分音的なスケール等、クラシックギターで演奏しても聴こえないような効果を中心に据えた。

そして、最後の部分では、ループを用いて、そして楽器を「放置」して去っていく。

 

前作における、ある種直接的なセクシュアリティは、今作では一見、影を潜めているが、どのように解釈するかで、いかようにも見立ては可能であろう。

 

あるいは、見立てる意味もないかもしれない。

 

直接的な政治色の強い題名をつけていたルイジ・ノーノが、晩年は、そういう題名にはせず、しかし、表層ではなく深部でそうした美学を貫いたように、ここでは、前作のエッセンスが昇華して、少なくとも表層的には別の姿になっている。

前作《ギタ・セクスアリス I 》の解説の最後の一文が、そのエッセンスと言えるかもしれない。

生命活動(及び種の存続)は、日常に内在するパルスや振動とその周期性(或いは反復性)によって支えられている。

生命が日常的に奏でるパルスへの眼差しが、この作品を作曲する原動力となった。

 

 

2019年12月5日、東京オペラシティリサイタルホールにて初演された。

今回はそれ以来5年ぶりの上演となる。

 


 

曲目表

山田岳⇄川島素晴 相互評

1)ギタ・セクスアリス I (2014) 

2)Das Lachenmann IId (2006/24/初演) 

3)ピタリン (2017)

4)ぎゅ、多様性。 (2024/初演)

5)Das Lachenmann IVc (2017/ 24/初演)

6)バターパンマン (2019)

7)チュゴットとギタドリン (2024/初演)

→8)ギタ・セクスアリス II (2019) *本投稿