「贅沢な時間」から
「時間そのものが贅沢である」へ
誰もが持っている
1日24時間...
自宅で過ごすなか
自分の時間と向き合うことで
その時間自体が
すでに贅沢であり、価値を持つ

わたしはそう感じました

「贅沢な時間だった!」
と表現することがあります
ひとと会ったり何かをしたり
誰かと共有したその時間に
意味や価値を見出しているという感覚です
しかし反対に考えられるのは
自分の持っている時間自体が
すでに価値の在るもの
だということ
だから、たとえ何もしていない時間に
何も価値がないとは思わない
だってすでに価値が在るから

ポイントは
何かをすることで、焦りや不安という気持ちを紛らわせていないか?
人は人、自分は自分

何かをすることが目的になっていないか?
それは本当に今やるべきこと?一呼吸置いて、疑問を持つ。
大切なことは
自分に必要なことを見つけること

何かしなければならない💦と焦ってしまったときこそ
何もしないでいるほうがいいこともあります

いまの自分に必要なことが冷静な目で見つけられないからです
舞台上に立ったとき、何か演技しなければならない、と思っている状態は、
その場面で必要な演技を見つけることが出来ないのとおなじ

目の前にあるものをどのように扱いますか?
いま、すでに価値を持っている時間をどう使いますか?
自分が何を感じ、どのように扱うか?
日常も演技もおなじです
自分に必要なことを見つけよう



わたしはいま毎日、自宅で声を出しながら本を読んでいます





AR演技メソード認定コーチ
津村朱実