『宝島30』十一月号に掲載された原田君の「私が出会ったもう一人の『カリスマ』――武田崇元とオカルト雑誌『ムー』の軌跡」について一言。まず当事者としては怒るというよりも唖然。これは、いかにしてオカルト的な陰謀論が生成されていくかという一つのサンプルでもある。
いちばん奇怪なのは、「最近、武田氏と会ったという人から、武田氏が『あいつら(麻原彰晃とオウム信者たち――筆者註)なんであんなことをしたんや』と嘆いているという話を聞いた」という一文。いったい誰から聞いたのか。こういう怪しげな伝聞を意味ありげにもってくる手法こそ、よくあるオカルト的陰謀論の手口。
私はこんなことを言った記憶もないし、言うわけもない。少なくともこの点に関して『宝島30』編集部から私に対する事実確認がなされなかったのはミスではないか。原田君は、この事実無根のパラグラフによって、武田崇元がまるでどこぞの間抜けなニューアカの大先生のように、オウムと麻原に何か期待を持ち、暖かい眼差しで見守ってきたかのように、読者に印象づけようとしている。教養もなければ美学もなく、想像力もない連中にいったい私が何を期待するのか。犯罪を犯そうが犯すまいが、邪は邪である。
そもそも私がいつの頃か「霊的ボルシェビズム」と口走った意味は、反近代なら何でもOK、精神世界なら何でもOKという、価値平等主義的な一部知識人のオカルト小児病に対しての警告の意味も込めてであった。
細かい話の水掛け諭をするつもりはないが、原田君は麻原が当社の常連顧客であったというが、私には全く記憶がない。当時でも数千名の直販名簿があったと思うが、その中でなぜ原田君がいまだ無名の人物の名前を覚えていたのか、不思議。
次に『ムー』との関係。これも原田君は、「将来、自らが事業を起こす宜伝媒体に育てるべく」私が『ムー』をつくったと言うが、そんな御苦労さんなことを誰がしますかいな。私が詳しかった(いまや原田君のほうがよほど詳しかろうが)いわゆる「偽史」関係や日本の巨石遣跡群の領域について、先方の要望でさまざまな形で協力しただけのこと。『ムー』が十六年もの間続いたのが「武田氏の薫陶」と言われては、スタッフは激怒しよう。十六年も続いたのは歴代編集長とスタッフがすっぽんもどきに有能だったからである。
原田君が「『ムー』はわしと南山が作ったんや」という述懐を聞いたという件で、唐突にUFO研究家の南山宏氏の名前が出てくることも奇妙。もちろん南山氏も『ムー』の執筆者として貢献はしただろうが、あの雑誌はむしろ無名のスタッフによって支えられてきたのである。
十年以上前の『ムー』に掲載された麻原の「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」の記事についての件では、むしろもともと私が麻原と何の関係もないことをはしなくも原田君は述べている。思い起こせば、『ムー』から「ヒヒイロカネに関するルポが持ち込みで入ってきたので、酒井勝軍等の写真を貸してくれ」と言ってきたことはあった。そこで「ヒヒイロカネのことは酒井勝軍の『神秘之日本』に書いてあるの、あなた知ってる? そのことにちゃんと触れてある?」と尋ねたら、奥歯に物のはさまったような返事だったので。「誰の原稿か知らんが、編集さん困るね。写真一枚で何千円か貰っても阿呆みたいやないか。読者に正しいことを伝えんとね」と示唆した。麻原と私との接点らしきものといえば、たったこれだけのことである。
この時も、私はゲラを見た記憶がない。というのも、記事を見てから、ヒヒイロカネのプレゼントなどが付いていてあまりに胡散臭いので、編集にクレームをつけた記憶があるからだ。そして、「この原稿を書いた奴はちゃんとうちの原典資料を購入しているのかいな」と思って名簿を見たら名前がなかったので、余計に腹を立てた。何にせよどこの誰かわからぬ者の名前など記憶に残るはずもなく、しばらくして空中浮揚の広告が載っているのを見てもいまだに結びつかず、数年後にある人が「前に武田さんが『ムー』のヒヒイロカネの記事でぶつぶつ怒ってたことがあるやろ。あいつ今お面被って選挙やってる奴やで」と教えてくれたのである。
「八〇年代の『ムー』が八幡書店とオウムの広報誌のようだった」というのも滅茶苦茶な話である。オウムはともかく、うちはまだカラー広告もしていなかった時代。もっと派手なクライアントはいっぱいいた。
次にいわずもがなのことであるが、八〇年代に八幡書店が『竹内文献』等の異端文献を出版したのは、「偽史運動」を展開するためではなく、埋もれた文化資料としてである。そのため例えば『竹内文献』の資料集では底本を明確にし、当時の内務省警保局の資料や関係者の回顧録も収録、近代宗教史における客観的に学術資料として通用するものとなっている。
なお、オウムは偽史運動の一種であるという原田君の捉え方そのものが本質を隠蔽するもの。オウムがドラッグを使っていたとしても、これをドラッグ・カルトとは誰もいわぬ。ついでに言うと、オウムがファシズムだというのも大間違い。彼らはヒトラーすら理解していなかったと思う。
原田君は、自分のリアリティー・トンネルにあわせて情報を読み換え、筆のすさびのパロディみたいな『日本のピラミッド』等をつなぎあわせて、武田崇元をめぐる一つの物語を組み立てている。これは陰謀論生成の典型的パターンである。オカルトを否定するオカルトというパターンは、ドイツのルーデンドルフに遡り、その思考実験の一部がたしか『黙示録の大破局』だったように思う。
言いたいことはまだまだある。しかしこの記事を繰り返し読むうちに、彼は今でも私の数少ないファンのような気もするので、なんとも複雑な気分である。武田の足跡が「論壇・学界で無視」されているというのには絶句。「と学会」ならともかく、いったいどこの学界でそないなことを研究せいというのか、怒りを通りこして爆笑した。「武田崇元学」か! まあ、「一介の通販屋のオヤジ」に発言の機会を与えてくれた点では感謝しよう。ついでに原田君には幹事となってあらゆるカルト集団やオカルト・サークルから「現代日本のオカルト業界の基盤」を「ほとんどつくりあげた」武田に上納金を献納するようにしてほしい。
最後に一言まじめな話。オウムは今回の警察の正当で遅すぎた捜査・検挙を戦前の大本教に対する弾圧と同じだと強弁し、原田君によると麻原は、『亡国日本の悲しみ』(汚らわしいので私自身は未読)で自らを不遜にも出口王仁三郎に擬しているということだが、大本とオウム、出口王仁三郎と麻原ほどまったく正反対に位置するものはない。出口王仁三郎は、まだ日本が閉鎖的な重苦しい空気に包まれていた時代にあって開放を目指し、麻原は開かれすぎた今日の社会において閉鎖と抑圧を目指したのである。
実は、出口王仁三郎の『霊界物語』には、スサノオ神の救済事業を徹底的に妨害するバラモン教という極悪邪神集団が登場するが。これは民衆をやたらに拉致監禁して水中に漬けたり難行苦行を強制する暴力教団として描かれている。常識ではそんな馬鹿な宗教が現実に存在するわけはなく、インドの古代バラモン教を投影した宗教訓話と誰もが考えてきたが、実際にオウムのような集団が登場したのには驚いた。しかも『霊界物語』によれば、このバラモン教の主宰神は大自在天であるが、これは一般にはシバ神の異名。
なお、出口王仁三郎の『霊界物語』は八幡書店から――とまたまたパブってしまうところが雀百まで踊りを忘れず、我ながら怖いなあ。
武田崇元(八幡書店代表取締役)
『宝島30』1995年12月号(p174-175)

