インタヴュー
神道霊学のコンスピラシー
武田崇元


『地球ロマン』のはなし



★今月は武田さんに会うというのでその前に、『地球ロマン』をざっと読み流してみたけれど、非常に政治的な雑誌だったという感じがしましたね。政治と離れたところで知識として異端信仰や神秘主義を論じる人は当時も沢山いたけれども、そうではなくて、内ゲバ全盛の時代に、非常に共同体の運動とか分派とか、狂信的なエネルギーとかカルトとか、そういうものに直面していったでしょう。

武田)そもそも霊学とかオカルティズムは、その運動性や内部的な力学、あるいはさまざまな観念の拮抗関係ときりはなして考えることは絶対にできないと思うね。これだけは今も同じというか、そういう方法論で行くと、結局は、みずからそういう力学と関わらざるをえない、そして今日に及んだということです。だから、たとえば、たんに十七世紀のフランスの薔薇十字がどうとかこうとかというのは、あまり興味がない。しかし、それをオカルト・コンスピラシーという文脈で考えてみると、がぜん面白くなってくるというところはありますわな。


★たとえば円盤運動の特集なんかやりましたね。イエスの方舟や人民寺院事件の後の、現在から見たらはっきりと新宗教運動ですよね。

武田)だけど、いまの新宗教とはかなり異質だね、あのときに取り上げたCBAという団体は。きわめて戦闘的でね、日本では非常にめずらしいカルト的な集団だね。そんなものが昭和三〇年代の日本にあったということだ。あのあとの円盤団体というのは、アダムスキーだとかなんだとか、うすっぺらな疑似ヒューマニズムみたいなものがあって気持が悪い。最近よくないのは、そういう気持の悪い宗教が多いことだね。それで思いだしたけれど、考えてみれば、あのときに四方田さんにユングのUFO論の翻訳と解説をお願いしたのが知り合った最初でしたね。


★人民寺院のあと、日本でも方舟のオッチャンが出てきたり、それからこのあいだ海岸で自殺したり、ああいう宗教の問題、小さな集団の熱狂の問題が社会問題としてワーッといま出てきた。でもひょっとしてすでに『地球ロマン』が、それを論じていたのではないか。実は一番初めに予知していたのではないかという気がするのね。それはやっぱり本を読んでたかだか安全地帯にある「異界」とか、遠くの国のめずらしい話というのと全然レベルが違って、すごく政治的な、七〇年安保の終わったあとの共同体論の雑誌だと思うんですね。

武田)べつに共同体論とかそういうことをストレートに考えたわけじゃないけれども、あのころは、まあ、オカルティズムといったって、四方田さんのいうように、澁澤さんとか種村さんの博物誌的な薀蓄の世界しかなかったわけです。ところが、はたして、そういうもんなんだろうかと、そこからだったね。まさに遠い国の珍しい話じゃなしに、すぐ身近の、場合によればもっとヴィヴィッドな話なんだぞ、あんたがたはこれに眼をそむけるのかという問いかけをしてみたかった。

それで、できるだけ生の資料や狂信している人々に登場してもらいつつ、それに切り込んでいくという方針ではじめたわけ。

それから、ポスト七〇年安保ということがでたけれども、新左翼の急進主義的運動というのが空中分解して、どこへ行くかということについてね、やがて自然食を食い、『竹内文献』を語ってくれる太田竜のような人物を生み出す力学というのはもうすでに予見していたから、そういう状況そのものを、うしろからポンと一押ししてやろうじゃないか、というそういう計算もすでにあのときにあったわけです。だから、きわめてヴィヴィッドで面白い時代だった。



大本との出会い


★大本と最初に出会ったのは……。

武田)あれは不思議なんですね。あれはもう『地球ロマン』なんかよりずっとまえ、高校のときに、駅のベンチで本を拾った。それが出口京太郎の『巨人出口王仁三郎』という本だった。それで、基本的にはずっとインプットされてはいたんだけれども、『地球ロマン』をはじめるころは、大本という存在はあえて意識しなかった。どこか気にかかる部分がありながら、意識的に幽閉してきた部分があった。まだ大本そのものに関わるには早すぎるという、ある種の妙な自己抑制機能というか、もっと周辺部分や背景的なところからつめていきたい、大本というのはそのへんのことがわからないと、逆に扱うテーマとしては、あまりにも巨大すぎるという予感があったことは事実です。


★ただのマイナーではないから。埋もれている巨大なメジャーだからね。

武田)ただし、あの埋もれた巨大なメジャーを理解するためには、その周縁部を理解しないと、正しい理解はできないだろうという直観があった。


★しかも外国御霊、そういう西洋オカルティズムも含めて。

武田)実際、その直観はあたったわけで、マイナーとみえたものが、追いかけていくうちに、少くとも大本にとっては周縁的なものではなしに、大本出現の深層海流であり、その背景であったりということが、つぎつぎとわかってきた。たとえば、大石凝真素美(おおいしごりますみ)、あるいは本田親徳、富士古文献といったものは、けっして王仁三郎を語る場合に、たんなるディテールとかエピソードとしてすますことのできる問題じゃない。そもそも『霊界物語』で最重要とされる「天祥地瑞の巻」なんて、大石凝真素美の言霊学と富士古文献を知らなければ、分析することが不可能、つまり出口王仁三郎の言語体系そのものが了解不可能になってしまう。

だから、出口王仁三郎というのは戦後の日本の宗教史、村上重良さんたちがつくってきた宗教史の枠ぐみのなかでは、非常にメジャーなんだけれども、そういう霊的イマジネーションのさまざまな源泉については蓋がおおいかぶさっていた状態で、たんに社会思想史の枠組みでとらえられてきた。だから、出口王仁三郎は実際には埋もれていた。いろいろな本が書かれたが、結局は半分しか光があたってなかったというわけです。


★大本の突出しているところがなかなか出てなかった。平板化してわかりやすい大本になっているということ ?

武田)「弾圧された民衆の宗教のチャンピオン」という、あまりにも戦後的価値観に迎合した説明がなされてきた。これは、たいへんわかりやすいわけです。それと、これまで大本を論じる人は、正面からぶつかろうとするあまり、王仁三郎のスケールにふりまわされてきたところがあったと思う。わたしの場合はそうじゃなかった。影の部分から入っていったから。

だから、ひとつの霊脈との出会いというのは、神さん的な言い方になるけれども、しかるべき道筋でしかるべく歩むということ、なにごともこれは出会いの天機というものがあるとつくづく思う。昔いきなり大本を訪れておれば、『地球ロマン』なんてできなかったかもしれないし、八幡書店もなかったかもしれない。



八幡書店のこと


★武田さんがカッパブックスで『霊界からの警告』を出したのは八二年ぐらいでしょう。

武田)うん、あれは八三年。


★それと前後して、八幡書店を興して、いまの神道霊学とか『竹内文献』なんかの原典を出版しはじめたでしょう。

武田)そうだね、ちょうど『大石凝真素美全集』をだしたのが、昭和五十六年です。この大石凝真素美という人物に出会ったことが、出口王仁三郎へといわば直接的に結びついていったわけです。

この人はなんといっても出口王仁三郎の師匠ですからね。だけども、うちで全集を刊行するまでその全貌はほとんど知られていなかった。まったく幻の人物だったわけです。そもそも日本の霊学というか霊脈には、いくつかの源流がある。その重要なひとつが、この大石凝真素美。本名は望月大輔というんだが、大石凝というのは、つまり天の岩戸神話で「鏡」を造ったとされる石凝姥命にちなんだもの、真素美は「ますみの鏡」に由来するものなわけです。


★いわゆる言霊学になるわけですか?

武田)そうですね。五十音図を神聖視したりすることは、ほとんどの国学者に共通するけれども、そこからきわだって異質の世界観を抱くにいたった人物として注目されるのは、この大石凝真素美と『水穂伝』を書いた山口志道という人物なんです。

大石凝真素美の「ますみの鏡」というのは、要するに五十音に濁音・半濁音を加えた日本語の七十五声を配列した一種の曼陀羅なんだけれども、かれの観念のなかでは、その鋳型というものは霊界に実在し、それがコンピュータ—のプレートのようになって日本人の体内にはめこまれているというわけ。それで、この神聖なるプレートの中心に位置するのが「ス」なんですね。すベてを統べる声であり、すめらみことのスであるというわけです。それで、この「ス」というものは、音といえば音であり、宇宙が開闢する以前からアプリオリにあったもので、「此の世の極元」であり「神霊元子(コエノコ)」であるというわけね。それで、この「ス」が六角切子のかたち、つまりコンペイトウのようなかたちをして、呼吸をしていたところに、「タ」という力が働いて、球状の「至大天球(タカアマハラ)」が形成され、その中心に大気が結晶して地球ができたというわけ。

大石凝の『天地はえ貫きの極典』という本は、こういう幻視的なビジョンによる宇宙開闢から人類発生にいたるイメージにつらぬかれている。もちろん国学の宇宙論というのは平田篤胤にもあったけれど、この大石凝の宇宙観はかなり特異なわけです。たとえば「ス」という概念にしても、もはやそれは日常的な音声という次元をこえて、老子かなにかの「大音は声なく、大象は形なし」というあれと、いわゆるエーテルだとか、粒子でもあり波動でもあるというような現代物理学の素粒子のようなイメージがオーバーラップして、もうここでは、「言霊」といっても、国学者の「言霊」からはほとんど遊離してしまっている。

それで、宇宙には、恒々としてこのような大音がいまも鳴り響いているけれど、われわれの耳には聞こえない。ただ地上でそれが投影される場所があると大石凝はいうわけです。それがどこかというと琵琶湖畔の近江八幡の水茎の岡山で、そこから竹父島の南方の湖面を凝視すると、刻々として五声のかたちが顕れるのを見ることができるという、これが水茎文字というものだと……。


★それは、いまでも見える ?

武田)それは見えるという人もいる。これは神代文字なんていうものじやなくて、人間の声の象(かたち)を写した根源的な符合なわけ。それから、この琵琶湖が神話にいう天之真名井で、ここで最初の人類が発祥したんだが、地球の中心から連なる極微子のサヌキという神霊元子が糸のようにつながったものを七六七二九本集めたものを一人分の玉の緒として、この玉の緒のなかにまず人体のエーテル体の原型が形成されたと、そこにアマテラス大神が魂精髄を、スサノヲが魄精髄を注入して人の身を造ったというわけね。それでこの根源人種には天・火・水・地に対応する四つのヒエラルキーがあって、上位三つの人種は、巨石を胞としたサナギ状態になり、そのなかで成熟した、それで地の人種は、玉の緒の株根のところに魄の精液が滲みでて、そのうえに大気が厚くつもって仁土(はにつち)となったために、セミの幼虫みたいに地中で成熟して、這いでてきたというわけね。さらにこうして生まれた最初の原人種というのは、ウロコで覆われて、頭が胴よりも大きかったとか、なんとも奇怪なイメ—ジが次々と語られるわけです。


★そういうイメ—ジというのは、いったいどこから生まれたのかしらん。

武田)これにあえて類似したイメージというと天理教の『泥海古記』ですわな。神道霊学というのは平田篤胤にはじまると一般的にはいえても、こういうイメージというものは、そこからはストレートに出てこない。むしろ、隠れた民俗伝承のような世界にソースがあるんじゃないかと思うね。

そもそも、大石凝真素美の爺さんというのは望月幸智といって、中村孝道の弟子だった人なんです。この中村孝道というのが曲者で、伝説では王仁三郎の祖母の宇能の兄であったとか、いろんな伝説が彩られた人物なんだけれども、「ますみの鏡」というものを宮中から出た反故のうらに書かれてあったのを発見したんだとか、日向の老人から継承したとか、いろんなことをいっておるわけなんですわ。それから言霊塚というような奇妙なものを立てたりしている。

これは、武邑さんがお詳しいが、なんでしょうヨーロッパでも、近代オカルティズムが確立するときに、十八~十九世紀にファミリー・トラッドというのを採集していく過程があった。ちょうどそれと似ている。大石凝真素美は、中村孝道のほかの弟子を探して全国を行脚するわけです。さらにあちらこちらの神社や霊地といわれるところを遍歴して、最後に美濃に落ち着くわけです。

美濃の不破郡に山本秀道という人物とめぐりあうわけだ。この山本秀道というのは、美濃中山の南宮神社に関係していた修験の家なんだけれども、一種のエソテリック・ファミリーで、玉祖(たまおや)の家だというわけです。これには、『古事記』の幽閉論が関係してくる。皇室に数億万年の昔から語部局(かたりべのつぼね)というものがあって、天地開闢以来の委細を語りついで天武天皇の御代にいたったが、ときに壬申の乱となり、天武天皇は美濃国の中山に三年間潜伏した。ところがこの中山というところは、天之御中主神の本巣(もとす)であり、それを祀っていたのが玉祖の家で、ここで天皇は宇宙開闢以来の密儀を研鑽した。それで皇室の語部の伝えとこの美濃の玉祖の伝えをあわせて、稗田阿礼と大安麻呂に『古事記』を編纂させたが、その隠された意味を解読するためには、天津金木というものによらねばならない。その天津金木というのは一種の霊的度量衡器でじつは伊勢神宮のご神体になっているとか、もういろんなことが出てくる。

こういう観念は、大石凝自身の「霊界参入」によってもたらされたんだろうね、結局は。『古事記』の秘密とかそういうことを鎮魂帰神で神憑りで明らかにしていく。それで、大石凝は、ちょうど廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていたころに、美濃一帯を「有名無実の神道を廃し、真神道を樹立せよ」と説いて歩き投獄されている。

それで、大石凝は、こんどは王仁三郎に目をつけるわけだな。あれは、王仁三郎が長沢雄楯のところに行った帰りの汽車のなかで会ったとかいろんな伝説があるわけ。それで、王仁三郎にいろいろと智恵をつけるわけだな。それからメシア論というようなものね、要するに仏教のみろく下生説を神道的に読んで、つまりいま日本は神国であるといっておるけれど、いまの国家はじつは神さんをないがしろにしておると。ここで真の神聖国家を建設せんとやがて日本は滅ぶと。天皇陛下にこのことをお教え申し上げんといかんと。

 

それからすでに山本秀道というのは、一種の神道社会主義のようなこともいっている。これが大石凝真素美をへて、出口王仁三郎の皇道経済論にまでつながるわけですが、自分の財産をすべて天皇陛下に返還するんだといって、県の役所が困ったりした記録があります。あれは面白いのは、大石凝が晩年に住んだ伊勢の木下では、社会主義者だったと思っている人もいるんですな。

ところで、この山本秀道というのが、じつは精神病院をやっていた。西洋医学が流入する以前の、最初の精神病院で、今でいう開放治療のようなこともやってたらしいんだね。それで修験とか言霊の祝詞を読ませたりして、精神病を治療するというわけだ。院長がこれで、その助手が大石凝真素美。ドグラ・マグラの世界です。そういうところから、神国日本の夢が三千世界一度に開く大本運動へとなだれこんでいったわけです。

だから、大本というのは壮大なシンクレティズム。平田篤胤にはじまる神聖国家論に、ナオのお筆先、さらに大石凝真素美に体現された民族―民俗的な想像力の世界が融合して核爆発したようなもんだな、あれは。おそらく、これのどのひとつを欠いても、爆発は起こらなかったわな。

とまれ、この大石凝真素美の言霊論だとかみろく下生説とか、天津金木という観念、こういうものは、きわめて広範囲におよんで、大本からわかれた世界救世教だとか生長の家だとか、そういうところにまで確認できる。だから、大石凝はそれ自体では、なんら市民権をえることはなかった。だけれども、しばしば「隠れた思想家」の例として引合に出される安藤昌益なんかは、今となって思想家としての市民権は得ることができても、結局それ自体で完結してしまったわけで、なんの思想的な波及もなかったわけですわな。しかし、大石凝真素美の場合は、爆発的な波及構造を獲得していったというわけだ。


★本田親徳もそうだね。

武田)そうです。あれはね、本田親徳の場合は、どのようにして出現したのかはっきりわからないところがある。鎮魂帰神法を復興したというわけなんだけれど、やはりそうとう全国を遍歴したようなんだな。いわゆる神憑りの法というのが、まったくそれまで湮滅されていたかというと、これはいろんな家伝神道が当時はまだ残存していただろうし、そういうのを参考にしながらより洗練された技法へと再編していったものだと思われる。

ともかくあの時期に、さまざまな秘教的な伝承だとか湮滅しつつある行法を採集するような動きがあったわけでね。上津文なんかの浮上にしてもそうだし。とくに顕著なのは、もっとも秘教的とされる神道にいわゆる宮地神仙道というものがある。宮地常磐という人は、四国の潮江天満宮の社家だったわけだけれど、これは土佐藩の藩主の蔵書というものを、すべて購入したわけです。全財産を傾けてね。また、この宮地神仙道というのは、不思議なものなんだな。これはたいへんなことをいっていてね、仏仙界と神仙界の戦争があって、それで仏仙界が負けて、廃仏毀釈が起こったと。まあ、この話ははじめると長くなるからまたにするけれど、この流れでおさえておかなければならないのは、友清歓真という人だな。じつは王仁三郎のつぎは本当は友清歓真論をやんなきゃいけない。

そもそも霊学というタームは、おそらく本田親徳がいいだしたことなんだけれど、それを神道霊学として定立したのはじつは友清歓真だともいえる。友清は最初大本にいたんだけれど、みずから決意してあのシンクレティズムの渦のなかから、ある日みずから訣別していくわけだな。それでその遡源を訪ねて、まず本田親徳へと回帰するわけ。そして、『鎮魂帰神の極意』という本を書く。これは画期的なことだったわけだな、当時は。それまで大本に入信しなければ教えてもらえない鎮魂帰神法が、きわめて体系的理論的に公開されたわけだから。

そして、大本には流入しなかったさらなる秘教的なソース、残存するさまざまなエソテリックな行法や古伝をかれは継承していくことになるわけです。それが宮地水位の伝であり、さらに堀天竜斎という人から太古神法の伝を受ける。それで、いわば非常に純粋化されたかたちでの古神道復興をめざすわけです。

これは、いわば大本的なダイナミックなシンクレティズムの世界とはきわめて対照的でしてね。しかし神道霊学史のうえではきわめて重要な位置を今なお占めているわけです。だけど、これはさっきの話になるけれど、やはりこういう霊的な世界ではしかるべき道筋のようなことがあって、結局、自分自身にとってこれまでやってきたことは、近代日本の霊脈そのものを追体験していくという作業だったような気がするし、それはいまも続いているわけなんでね。


★ところで、大石凝真素美にしても、ああしたほとんど湮滅されてきた原本とか資料というのは、どうやって集められたわけですか?

武田)それは、まあ、企業秘密と抵触する部分もあるけれど、どういうわけかどんどん来る。『神霊界』にしても、弾圧のときに検事局が押収して、裁判所に証拠として提出した本を入手したり、それから王仁三郎が自筆で赤入れをした昭和神聖会の機関誌もあるしね。

まあ、資料調査についてはともかく根性がいりますわな。まずこれと狙いをつけたものは、どんなことをしても拾ってくる。竹内巨麿については、明治時代に長峯波山という人が書いた『明治奇人今義経鞍馬修行実歴談』という伝記がある。これが手に入らないと、どうも『竹内文献』の出現過程とか巨磨の前半生についてわからないことがある。それで、かれこれ約十年間ものあいだ探していた。

ところが、ついー月まえに、これを持ってる人間が福島県の某という町におるという情報を手掛りに、徹底的に調査して、入手に成功した。そうしたら、その口絵のところに書き込みがあったんでね、それを竹内巨麿の実子で天神人祖ー神宮の高畠康寿管長にお見せしたら、これは巨麿の自筆だというんだね。ちなみに、巨磨は昭和五年当時に弾圧騒動があったときに、「大阪朝日新聞」の記者に、この『明治奇人今義経鞍馬修行実歴談』という本はなくして手元にないといっている。つまり竹内巨麿がなくしたその一冊が、いまわしのところに来たわけです。

まあ、こういうことってあるわけ。物品引き寄せじゃないけれど。


★そうした作業によせる異常な情熱というのは、武田さん自体のたとえば霊的体験みたいのがあるのか、それともそういう体験を頑固にそういうものを拒絶することによってやっているのか、そこのところはどうなんですか。

武田)通常いわれるような霊的体験というものよりも、むしろここまで来るとなにかに操作されてきたとしかいいようがないね。だから、八幡書店の本当のオーナーというのは、日本の秘教的な神道運動の歴史的総体であり、日本の霊界であると、これはもう信念の領域であるからなんですが……。



(以下略)
『GSたのしい知識』vol.7、1988年9月。




 

『GSたのしい知識』vol.7