――武田さんは、いわばこの業界というか、こういった世界の草分け的な存在であり、仕掛け人であり、陰に陽にオカルトを栽培してこられたわけで、とくに『地球ロマン』なんかは、今読んでも非常に刺激的であり、とりわけ神道霊学や日ユ同祖論などの裏の神道というか日本の中の秘教的な伝統についてはじめて客観的な資料を踏まえて照射したものであり、私もたいへん興味深く勉強させていただいたのですが、そういった立場から見て、現在のオカルティズムを取り巻く状況というものをどう思われますか。
武田 (わが創刊案内パンフレットを手にとりながら)オカルチャーね。このオカルチャーということに象徴される現在の状況というものは、私自身にとって新鮮であるということはひとつもないわけね。それは、もう何年もまえに 『HEAVEN』(編集部注・5年前ハイ・ディメンション・幻覚マガジンとキャッチフレーズして出た)なんて雑誌でね、こういう遊び的なことというのはあったわけさ。だから、今さらという感じはするけれど、今さらというのは売れるわけね。だから、いいんじゃないですか。(笑い)
――そういわれると、ウレしいけど(売れるってことは)、今さらに、抵抗あるね。まあ、いいや……で……?
武田 まあ、少しまえまでは精神文化といった言いかたがはやったわけだけれども、それが、今ではまさにオカルチャーであり、40、50代のおばさんが水子霊を必死に供養しているかと思えば、20代の大学生は、文化の中で一見スマー卜なオカルト・フィールドワークをやっている中沢のにいちゃんなんかを偶像化したり、それからなんだっけニューサイエンスがもてはやされたり、『サンデー毎日』がビラミッドをやったりといった具合で、オカルトの中にも復線化したいくつかのパラダイムが形成されてきた。
だから、そういう今は面白いといえば面白いわけだけれど、あまり新鮮なことはないわね。だいたいオカルトという言葉も私はもはやあまり使いたくないわけでね。最近、私がよく借りにいくビデオ屋のにいちゃんが、SFはほとんど借り尽くしたんでね、「武田さん、オカルトはどうでっか」というわけ、それで怪奇映画を勧めるわけだ。なるほどね、と思ったね。世間ー般ではなるほどそれがオカルトだと。(笑い)まったくいやんなっちゃうわね。
まあ、結局、俺は尖端文化もオカルチャーも関係ないわけ。しょせん、現在のそういう状況、とりわけ文化状況の中のオカルチャー的な雰囲気の面白さというのは、情報系の問題であって、中身のドロドロした部分には抵触しないわけでしょう。抵触するとスタンスがとれなくなってしまうからね。だから、そういうのは、どういえばいいか安全地帯への避難なんであってね。架空の避難場所の中でやることの楽しさみたいなものは認めるけれども、われわれはそれはやらない、というだけのことです。
だいたい、そういう避難場所や外野で何かやっていて安全ということもないだろうしね。いつ、あんたボールが飛んできよるかわからんでしよう。われわれが打ったボールかもしれませんしな。「神さんしてる?」のレベルであればいいけれども、「お道のためやったら何でもやります」というような人がいますから。
――ウーム……、しかし、現在の状況というものは、ある意味で武田さんたちが陰に陽にやってきたことのひとつの結果でもあるわけ……。
武田 それはそうかもしれない。現在の状況というものは、自分たちが形成してきたシステムがある部分大衆化されてきたわけであり、このことは予測していたわけだけれども、だからこそ、今現在、なにひとつ新鮮なものはないわけです。それと、これは違うのは、われわれは、むしろオカルティズムのドロドロした部分とむしろ抵触するような形でやってきたわけでね、それが『地球ロマン』時代の根本的な意図でもあったわけです。
しかし、その『地球ロマン』にしても、その衝撃性というものは、あの当時はまったく見えてこないで、最近になって面白いという人がいたりして、それで昔の読者カードを見るとたしかにずいぶん面白いメンバーがいたりして、まあ結局はわれわれの撒き散らした種ということはあるわけです。だから、あるネットワーキングの下で、私自身、面白おかしくオカルトを論じ、オカルトを育成し、オカル卜を栽培し、オカルトをポップ化させてきた過程も一方であるわけだけれども、もうそれはあまりする気はないわけ。
ただ、そういった過程を私自身が宿命的なものとして抱えもっていたということは言えるわけであり、最終的な尻ぬぐいをせねばならない、とは思うけどね。
――今は、主にどういうことをしているわけですか。
武田 それは、どういうことといっても、結局、私は現在、八幡書店という出版社をやっていて、ここでは主に神道霊学および神代史関係の専門書籍を出しているわけ。ちょうど4年前に、大石凝真素美という出口王仁三郎なんかにたいへんな影響を与えた、神道霊学の原型を明治期において形成した人の慰霊祭をやってその全集を出版しましてね、それが発展して神道霊学や神代史の先駆者の基本文献、基本とはいいながら、これまでほとんどうずもれていた書物を復刻してきたわけです。
私の場合ずっと近代日本の霊的なあるいは秘教的な伝統や流れに対して、外側から検証していくという過程があったわけですが、今度はより内側から、神道的な内奥の領域に下降しつつ、より深いレベルにおいてしぼりこんだ形で検証を開始したのが、いわば現在の八幡書店のスター卜であったわけです。
だがら、そういうわけで、今のところ私はもっぱら再び過去を振り返っているわけ。現在はまだ有効に解読されていない、ないしはまだ有効に機能しうる教義を、書物という、旧態のメディアではあるけれども、提出するというたいへん地道な作業によっているわけ。これが、公的には現在の活動基盤にもなっているのであり、基本的には直販形態をとったひとつの地道なシステムの構築であり、非常にスタティックな印象を与えるかもしれないけれども、広汎なネット・ワーキングの一環でもあるわけです。
――そういう地味な仕事の一方で、『出口王仁三郎の霊界からの警告』なんかはたいへんなべストセラーになって、一種の大本ブームのような状況が形成される、それはやはり武田さんの秘教戦略なわけですか。
武田 それは、別に私が直接的に意図したことじゃないわけ。あるとすれば、神さんの戦略やな。あの本を頼まれたとき、私としては、近代日本のまっただ中に生きたこのスーパー・エソテリカ王仁三郎を、通俗的意味における予言者という枠の中にくくることは不可能だから多少逡巡したわけですが、一方で、現在の霊や魂、そして予言といった問題に対する一般的な理解を越えて、より深い核心が存在することを、一個の巨大な存在を通して、広く投げかけてみるということに魅力を感じたわけです。
だから、それはいろいろと計算はするけれども、しかし、あなたもご承知のように書くのは遅いですからわたしは。こちらはやいのやいのとせかされながら書いているわけですから。だから、ゆっくり考慮する余裕はない。それこそ神さんのお仕組みなわけであってね。(笑い)
――大本にはずいぶん以前から関心を持っていたわけですね。
武田 ここ十年を通じての私の関心というものは、もちろん大本そのものというよりも神道霊学あるいは秘教的神道主義の領域であったわけ。とくに近年は、全集を手がけるといった神縁もあって、近代における神道霊学の二大源流ともいうべき大石凝真素美と本田親徳に関心をもっていた。この二人がいわば王仁三郎の導師(グル)であった。
なかでも注目されるのは、大石凝真素美で、彼はすでに明治の初期に復古神道派の限界を指摘していたわけ。それから非常に象徴的なことはかつての大本の機関誌のタイトルは神代文字で書かれていたわけですし、またわたしのところで富士古文書を出版しているんだけれども、『霊界物語』の中枢とされる「天祥地瑞」の巻の根幹は、富士古文書の神統譜を大石凝真素美の言霊で解釈しているわけさ。
こういうような秘教的神道ラディカリズムの系譜を受肉して、王仁三郎というのは、スーパーエソテリカとして出現し、そういった教義をある種の社会的レベルに解き放ったわけ。王仁三郎の率いる大本の異常な躍進が、大日本帝国のエスタブリッシュメントたちに内乱の危機まで感じさせた衝迫的なカの源のひとつはそこにあったわけです。
こういった傾向は非常になんというかフェルキッシュ、つまり民族=民俗主義的なものなのであり、この点で、戦後のいわゆる進歩的文化人による大本の評価軸というのは、ズレているわけ。霊的領域を埒外にほうり出して弾圧問題を論じるというのは、かれらが排撃するかつての官僚制神道と同じレベルなわけです。だから、かれらは王仁三郎の入蒙問題や昭和神聖会の活動、天皇機関説排撃運動やワシントン海軍条約粉砕運動を当時の王仁三郎が指導したという問題になると、なにか奥歯にもののはさまったようなことになってしまうわけです。
――亀岡でも講演をされたそうですね。
武田 去年の瑞生大祭といって、瑞の御魂つまり王仁三郎の生誕祭なんですが、ここで講演をさせていただくという部外の人間としてはたいへんな栄誉にあずかりました。そういった中でも、ひとつの歴史性なり伝統性のうちに活動を続けている人々との出会いというものがあったことは大きな収穫でした。ですから、今私は、王仁三郎の放った強固な霊的システムを検証すると同時に、いま現在の大本のもつ霊的な深みということを確認することも、とても大事なことであると思うわけです。
――神道には、大きくわけて神社神道と天理やあるいは大本に代表される教派神道系があるわけですね。そのあたりはどういうふうにとらえられますか。
武田 神社神道というのは、民族の根幹にかかわる一種の霊的な場というものを数千年にわたって伝統的に保持しているわけですし、また別にいろいろな教義をもった神道セクトというものがあるけれども、それぞれの人たちの伝統とか格式とか立場というものがあるわけでしょう。そういう伝統性とか立場とか道統に対して、深い敬意というものを私は払うべきであると思うんです。
――ところで大本弾圧の裏には、やはり神々の対立があったということなんでしょうか。
武田 そういう論議というのは、常にシェーマ化した枠組みに陥る危険性があるでしょう。天津神と国津神とか、縄文神道だとか、そういった対立構造の図式でなんでも割り切ってしまう論議が横行しているようだけれども、そういうコンセプトのみでとらえようとするのはもはや通用しないと思うね。
むしろ問題にするならば、浪漫派的なファンダメンタリズムと霊的国体論派のファンダメンタリズムという潜在的な二極構造の方が問題でね。これは、実際には当人たちも認織しえない場合が多い。それぞれのベクトルの濃度や配合の加減という問題がつねにあって、それが日本のフェルキッシュな運動内部の分裂や拮抗やこれまでの歴史、あるいは国家との関係をね、たいへん複雑なものにしてきたのではないかと思うわけです。戦前のいろいろな不幸な諸事件の背景はむしろそこのあたりにあるんじゃないか。
――武田さんにとって、神とはなんですか。
武田 それはね、私は八幡書店の代表ということになっている。だから、別に毎日の業務を誰かれに報告する義務はないわけですが、私は毎日神さんに報告しておるわけですわ。この神道霊学の貴重文献の出版という今の仕事は、私は神さんにやらしていただいておると思っているわけです。社長というても一存ではどうもならん。天の命令でやっているわけだから、つねに私は毎日神さんに報告しているわけですねん。だから、甘いことは出来んわけです。
だから、武田の一派はきついという人もおるわけですが、わたしらはつねに神さんにせっかく選ばれてこういうありがたい仕事をやらしていただいておるわけですからね、ゆめおろそかなことは出来んわけです。それだけ仕事には真剣勝負でいくわけですし、意図するとしないにかかわらず、秘教管理の力学を形成せざるをえないこともあるわけです。
それで、必然的にこういう道というものは、さまざまな秘教的伝統性のなかのインナーサークルに深くかかわらざるをえないし、決してニュートラルな外野、外野でざわざわ騒ぐというような状況というものはあまり許されていないわけです。
――今の時代において、こういう方面に対する関心がいろいろあるわけですが、こういうことは特定の教団とかかわる方向と個人的な方向があると思うのですが、どうなんでしょう。
武田 そういうことは一般論として言うことは困難でしょう。たとえば、よきにつけあしきにつけ、大本や禊教や神道天行居のような歴史的な秘教伝統のある教団と、そのへんのものをいっしよくたに論じることはとてもじゃないけれど出来ないわけ。
――新しいものはだめと。
武田 誰もそんなことを言ってはいない。一般的に言ってだね、世の中には敬意を払うに値するものとそうでないものがある。これは、あたリまえであって、だから、そういうふうに、道を求める人たちにだね、特定の宗教に入った方がいいか、個人でやった方がいいかなんてね、ケース・バイ・ケースだろうし、ミソもクソもいっしょにすることは出来ないでしょうが。だけれども、今ここでどこがミソでどこがクソとかね、どこそこ方面にはいんけつな霊が浮遊しているとかね、そういうことを大きな声で言うとあなた方が困るでしょう。私も困る。
――言って下さい。
武田 まあ、例えばだね、おたくからだったか(紙面スペースの都合で略。あくまで)
――ウーム…。そう言い切っちゃうところがスゴいですね。それで、武田さんがいまいちばん関心を抱かれているテーマとか計画について、お話いただけませんか?
武田 それはちよっといただけませんね。現在のステップについては、いろんな関連があって言えないことの方が多いのです。それは水も漏らさん仕組みがいろいろあるわけで、それは私は神さんにやらしていただいておると思ってますから、なかなかそう気軽にね、どうのこうのということがあって粗相したら、いかんわけです。
ただ、言えることは、自分はこれまでいろいろな状況を展開し、状況とクロスしてきたことを振り返れば、それは先行するシステムであリ、もし自分たちに5年後があるならば、それがあなたたちにわかるのは10年後じゃないかな。
――ウーム…。やっぱり……か。でも、怖そうだけど早くわかりたいね。
(インタビュアー/終風珍)
『GOD MAGAZINE』1985年5月創刊号、徳間書店、p114-116。


