(ルカの福音書 12:8-9、現代訳) [8] わたしははっきり言います。だれでも人々の前でわたしを知っていると言えば、わたしも神の天使たちの前でその人をわたしを知っていると言うでしょう。 [9] しかし、人々の前でわたしを知らないと言えば、わたしも神の天使たちの前でその人を知らないと言うでしょう。
キリスト教信仰によるのけもの
私たちはしばしば、この地上で生活する中で信仰の挑戦を受けることがあります。信仰のゆえに、酒やタバコ、さらには汚れた事柄に関わらないことで、社会生活から仲間外れにされたり、嘲笑されたりすることも起こります。しかし、たとえ不利益を被っても、聖徒が神様が憎まれる事柄に加わることはできません。
麦100%のご飯
いつだったか、アメリカに移住して牧会をされたある牧師の証を読んだことがあります。その牧師の父親は教会の長老で、朝鮮戦争(6・25)の時に共産党によって殉教されました。父親を亡くした後、母親と幼い兄弟たちが飢えていたため、幼少の頃の牧師は母方の伯父の家を訪ねてよく助けを受けました。ところが、伯母は厳しい人で、ひどい仕打ちをされることも多かったそうです。
麦100%のご飯
ある日、助けを求めに伯父の家に行ったところ、たまたま誰もいませんでした。そこで台所に入ってみると、大麦を煮たものが見えました。「あれだけこっそり持って帰れば、家族全員がお腹いっぱい食べられるだろう」と考えましたが、その瞬間、父親が生きていた時に教えてくれた言葉が頭に浮かびました。
盛り土の墓
「イエス様の御前で、常に恥じない生活を送りなさい」という父親の言葉が彼を引き止めました。それで彼はその日、手ぶらで帰り、父の墓に伏して一晩中泣いたと言います。私たちはその父親がどのような人物だったのかはよく知りません。しかし、一つ言えることは、本当に素晴らしい影響力を持っていた方だということです。彼が及ぼした影響力は、彼が亡くなった後もその子供の心に残って、子供の人生をイエス・キリストの中で正しく導き、見守りました。
十字架の上で贖いの供え物として亡くなられたイエス
私たちはイエス様の顔を見たこともありません。しかし、イエス様が私たちのために死んでくださったことを知っており、信じています。それで、その方に忠誠を誓い、その方の御心に従って生きることを誓った聖徒です。
しかし、世間はイエス様を知らず、従いません。そして、イエスを信じるという理由でいじめたり、不利益を与えたりもします。イエス様はこれを前もって言われました。
(マタイの福音書 10:22、バラン訳) あなたがたはわたしの名のためにすべての人に憎まれるであろうが、最後まで耐え忍ぶその人は救われるであろう。
私たちはイエスの名によって救われた聖徒です。不利益が来ようとも、決してイエスの名を裏切ることはできません。
フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)
名前の後に「the Great(大王)」という修飾語がつくほど有能な統治者であった フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)は、ドイツ・プロイセン王国の第3代国王でした。彼は国家の統治、人材の登用、軍隊の組織と指揮、征服戦争の指揮などをすべて自ら担当し、何一つとしておろそかにしませんでした。フリードリヒは、優れた軍事的才能と合理的な国家経営を発揮してプロイセンを当時のヨーロッパ最強の軍事大国に成長させただけでなく、フルート演奏などの芸術的な才能と関心も兼ね備えていたため、「啓蒙専制君主」の典型と見なされています。
フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)
しかし、彼は 根深い懐疑論者(Skeptic)であり、信仰や教会の権威を批判し、キリスト教の教義に対して冷笑的でした。そのため、フリードリヒはしばしばキリストと教会を嘲笑しました。そのような彼に忠実な家臣である将軍がいました。ハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテン(Hans Joachim von Zieten, 1699–1786)で、非常に誠実なクリスチャンでした。
ある日、家臣たちと多くの貴族が集まった席で、フリードリヒ大王が下品な野次でイエス・キリストを嘲笑する言葉を発しました。すると、その場に集まった者たちは皆、そのような雰囲気に流されていきました。
フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)
ところがこの時、厳粛な表情をしたフォン・ツィーテン将軍が席から立ち上がり、大王をまっすぐに見つめながら、このように申し上げました。
「大王陛下、陛下は私が死を恐れないことをよくご存知です。ですから、私は戦場で陛下のために38回戦い、勝利を収めたのです。しかし、今や私は年老いた者となりました。私はまもなく、今陛下が嘲笑しておられる、私の救い主キリストにお目にかかりに行くことになります。永遠を見つめる私は、イエス・キリストが陛下よりもさらに偉大な方であることを知っております。陛下、私はこれで退席させていただきます。」
この途方もない言葉と態度に、場内にいた人々は恐れおののきました。誰もが、将軍を直ちに処刑せよという厳しい大王の命令が下るだろうと予想しました。しかし、すべての人の予想に反して、大王は震える声でこのように言いました。
「将軍、私が間違っていた。許してくれ。」
私たちは皆、いつか神様の前に立つことになります。
その通りです。
私たちは近いうちに、私たちの創造主である神様の御前に立つことになります。世のすべての権威と栄光も、神様の御前にひざまずくことになるでしょう。したがって、やがて神様にお目にかかる日が来ることを忘れず、神様に敵対する世のすべての権威の前でも、神様を崇める大胆で勇気ある信仰を固く守らなければなりません。神様はこう言われています。
(サムエル記上 2:30、改訂) それゆえ、イスラエルの神、主であるわたしが言う。わたしを重んじる者を、わたしは重んじ、わたしを侮る者を、わたしは軽んじる。
常に神様を尊び、人々の前で大胆に信仰を表す勇気ある生活をもって、神様に栄光を帰されますように、主の御名によってお祈り申し上げます。







































