(マタイ 23:9, 新共同訳) また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父お一人だけだ。


 

今日の御言葉は、一見すると理解しがたい内容かもしれません。神様は、聖書の出エジプト記 20:12に記された十戒(十誡命)において、「あなたの父母を敬え」と命じられました。またエフェ소書 6:2でも、「『あなたの父と母を敬え』。これは約束を伴う第一の掟です」と記されています。しかし、今日の箇所では、肉心の父を父と呼んではならないとおっしゃっています。なぜでしょうか。

 

 

イエスは当時の律法学者たちとは異なる方法で、律法を理解し教えました。

 

 

実のところ、今日イエス様が語られている「この世の父」とは、当時の律法学者、あるいは偉大な師、長老教唆、またはある学派の巨匠(巨匠)などを指す一般的な表現でした。もちろん、ここには自分の子供たちがよく生きることを願ってはいるものの、実際には世の価値観や伝統を教え、結局は神様の御心から外れた教えを固執する肉心の父親たちも含まれ得ます。

 

 

イエスは当時の律法学者たちとは異なる方法で、律法を理解し教えました。

 

しかし、今や神の子となった私たち聖徒(聖徒)は、もはや世の価値観や伝統に従うのではなく、ただ神の御言葉に従って生きる天国の市民(市民)となった聖徒であるべきです。したがって、私たちがこれから従うべき正しい導きを与え、唯一仕えるべき方は天の父お一人であるため、イエス様はそのようにおっしゃったのです。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

金教臣(1901–1945) 先生は、『聖書朝鮮』1933年8月号の巻頭言(卷頭言)で、次のような言葉を残しました。

 

 

 

不肖(ふしょう)とは、『父に似ていない愚かな息子』という意味で、自分を低めて言う謙譲の表現です。

 

 

題名は「不肖(不肖)」です。この文章を紹介する前に、まず「不肖」の意味を調べてみると、「不(不)」は打ち消し、「肖(肖)」は似るという意味で、父に似ていないことを指します。

 

 

 

「金教臣(キム・ギョシン)は、自身が発刊した『聖書朝鮮』において、『不肖であれ』という自身の教えを説きました。」

 

 

通常は、後ろに控えるという意味の「侍生(侍生)」や「小生(小生)」を合わせ、「不肖侍生」あるいは「不肖小生」と使い、「優れた父母に似ることができなかった愚かな子」という謙譲(謙讓)の表現として、かつてよく使われていました。

 

 

 

中国の堯舜(ぎょうしゅん)大王

 

 

孟子(孟子)の「万章」編に登場するこの言葉は、中国の治世(治世)の黄金期(黃金期)である堯舜時代(堯舜時節)に由来する故事(故事)です。中国の聖君(聖君)であった堯帝が、自分の息子である丹朱(丹朱)が不肖、つまり自分に似ず、器(器局)が小さくて天下(天下)を受け継ぐには不足していることを知ったため、権力を舜(舜)**に譲ることにしました。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

舜に王権(王權)を譲れば天下のすべての人が利益を得て、息子である丹朱だけが損をするが、息子である丹朱に王権を譲れば天下のすべての人が損をして丹朱だけが利益を得るということを知っていたためでした。結局「不肖」とは、父に似ることができなかった愚かな息子を指します。

 

 

 

日本の思想家、内村鑑三(うちむらかんぞう)とその弟子, 金教臣(キム・ギョシン)先生

 

ところが金教臣は、『聖書朝鮮』の中で「不肖」という題名でこのような文章を残しています。「私たちは不肖であれ。あえて先祖に似るなと叫びたい。特に生と死の重大な問題において、私たちは先祖たちの観念(観念)をそのまま受け継いではならない」。そう語り、似てはならない先祖たちの不適切な生活形態(行態)をいくつか挙げました。

 

 

 

「金教臣(キム・ギョシン)の思想を解説した本」

 

 

第一に、子供たちを未成年期(未成年期)に結婚させること(早婚)。第二に、明堂(明堂)を探して先祖の遺骸(遺骸)を安置(安葬)し、三年間服喪(服喪)すること。第三に、早くに隠退(隠退)して子供の孝行にあやかる寄生生活(寄生生活)を送り、早々に自分の墓地(墓地)を調べることなどです。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

 

金教臣先生は、先祖たちが代々「大事(大事)」、つまり大きな事として誤って捉えてきたこのような事柄は、むしろ後継(後孫)たちが受け継がず、必ず捨てるべきものだと語りました。そうして、「死体(死體)と糞土(糞土)を崇尚(崇尙)する先祖に似るのではなく、『私は道であり、真理であり、命である』というイエスに似るべきであり、地にあるものに似るのではなく、天にあるものに似るべきである」と述べました。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生, 後列(こうれつ)の右(みぎ)から4番目(よばんめ)

 

そうです。聖徒となった私たちは、神の形(形象)に象どって造られた天国の民(百姓)です。したがって、朽ち果てる世の誤った価値観や伝統を分別なく伝えようとする先祖たちの教えに盲目(盲目)に従うのではなく、私たちを創造(創造)し、身を捧げて救い(救援)出してくださった真の天の父である神の御言葉に従い学ぶことで、天国の民としての生を全うしなければなりません。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

今日、私たちは先祖の誤った伝統だけでなく、目を開けば溢れんばかりに流れ込んでくるメディア(媒體)の世俗的な知識によって、歪んだ価値観で洗脳(洗脳)されようとしています。しかし、神の息子、娘となった私たち聖徒は、聖書の御言葉と聖霊(聖靈)の導きを受ける生を通じて、正しい聖徒の歩みをすべきです。このような聖徒となられることを祝願(祝願)いたします。