(ヘブライ人への手紙 4:13、共同訳) 創造されたもののうち、神の御前に現れないものは一つもなく、神の目にはすべてが裸であり、覆い隠されていません。私たちは、やがてその方から裁きを受けなければならないのです。

 

上司ポティファルの妻の誘惑を振り切るヨセフ

 

ポティファルの妻の誘惑を退けるヨセフ

 

 

聖書に登場する神の人々は、この世に生きながらも、あらゆることにおいて神の御前に立っているかのように慎重に生活しました。兄たちに売られて故郷을離れ、エジプトで奴隷として仕えたヨセフは、神を信じる人がほとんどいない異邦の地にあっても神を思い出し、すべてのことに注意を払いました。ある時、主人ポティファルの妻が彼を誘惑した際、ヨセフはこう言いました。

 

(創世記 39:8-9、新共同訳) [8] ヨセフは拒み、主人の妻に言った。「ごらんのとおり、主人はこの家のすべての財産を私に任せ、何も関与していません。[9] この家には私より偉い者はいません。主人は、あなただけを例外として、何も私に禁じていません。あなたは主人の妻だからです。そのようなことをして、どうしてこの大きな悪を行い、神に対して罪を犯すことができましょうか。」

 

 

上司ポティファルの妻の誘惑を振り切るヨセフ

 

ポティファルの妻の誘惑を退けるヨセフ

 

 

このように、ヨセフは人が見ていなくても、神の御前で聖なる生活を送るよう努めました。今日私たちも、常に神を心に留め、言葉と行動に注意を払う信徒となるべきです。

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

イギリスのケンブリッジにあるクレア・カレッジの教授であり、宮廷牧師として働いたヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)は、王室礼拝で説教に出かける前に、常に自分自身にこう言い聞かせていました。

 

「ラティマーよ、ラティマーよ、お前は今、権力があり、位の高い国王ヘンリー8世(Henry VIII, 1491~1547)の前で話すことになる。国王はお前の命を一瞬で処分できる方だ. だからラティマーよ、お前は言葉に注意しなければならない。しかしラティマーよ、お前は何よりも、王の王であり、主の主であるその方が見ておられる前で話していることも忘れてはならない。お前は、その方をがっかりさせないように話さなければならないのだ。」

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

 

このように、ラティマーはヘンリー8世の宮廷牧師として働きながら、王の前でも自らの信念を曲げない勇敢な説教者として有名でした。彼の度胸ある態度に関する逸話があります。ある時、ラティマーは説教中に王の機嫌を損ねるような内容を強く説きました。激怒した王は、次の週の説教でその内容を撤回し、謝罪するように命じました。

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

これに対しラティマーは機知に富んだ対応をしました。次の週、ラティマーは教壇に立ち、王の命令について語った後、しばらく沈黙し、「ヒュー・ラティマー、お前は異端者なのか? それとも真理を説く者なのか?」と、まるで自分自身に問いかけるように言いました。そして大声で、「ヒュー・ラティマー、神を恐れ、この世のどんな王よりも王の王を恐れなさい。

 

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

王にあなたの真理を宣べ伝えなさい!」と叫びました。このラティマーの態度に対し、ヘンリー8世は驚くべきことにこの大胆さに感銘を受け、彼を罰することなく、むしろ恩恵を与えたと伝えられています。

 

 

 

「わたしはすべてを見ている」ー 神

 

 

今日、多くの人が神が存在しないかのように話し、行動しています。しかし、いつか私たちは皆、神の御前で、自分たちがしたすべての言葉と行動について説明し、裁きを受けることになります。

 

(ローマの信徒への手紙 14:11-12、リビングバイブル) [11] これに関して聖書にはこう記されています。「主が言われる。『その日、すべての者がわたしの前にひざまずき、すべての舌が神を告白するだろう。』」[12] そうです。その時が来れば、私たち一人ひとりが、自分のことをすべて神に包み隠さず告白しなければならないでしょう。

 

 

恐れと戦慄をもって、あらゆることにおいて神を覚えながら生き、常に神の喜びとなる信徒となられますよう、主の御名によってお祈り申し上げます。