『俳優の仕事』第1部
第4章 想像力 5

[「空想して、映画フィルムを使ってみよう!」]と先生からの提案から始まる

[わざと受動的なテーマを選ぶことにする。能動的なテーマだと、あらかじめ空想しておかなくても、それ自体が積極的活動を呼び覚ますことができるからだ。
逆にあまり能動的でないテーマでは、前もって想像力を集中的に働かせることが必要となる。]

そのテーマは[大地に深く根を下ろした樹木の生活]

[移動したり、歩き回ったりすることはできない。だが、他にも行動のしようはあるだろう。]

そのために[まずはどこにいるかを決めなければならない。]

これはある意味お芝居の基本なのでは、と個人的には思う

どこにいるか、ということを想像の中に入れて表現しないと、そのイメージも伝わらないんじゃないかなー、というか想像しにくそう

先生は
何が見える?
それは何でできている?

と聞くもののシュストフの想像を最後まで描かせた後に
プシチンがあまり想像力を働かせてないで、先生が代わりに想像している、と主人公が評す

でもこれわかるな…先生任せで
お前自分で考えてきてなかったのか!!
みたいな人いるよね

先生が質問することで、生徒は答えなければいけないから答える。そこででまかせが出ることもあるけれど、その答えには根拠が足りないと証明する。

[もっと納得のいく答えをしようと、生徒はすぐ自分の想像力を掻き立て、尋ねられたことを心の視覚で見えざるを得なくなるか、知性や筋道の立った判断から質問にアプローチしなければならなくなる。]

[想像力の働きというのは、この種の意識的で知的な活動によって準備され、方向づけられることが非常に多い。そして結局、生徒は自分の記憶とか想像で何かを見るようになり、目の前に明確な視覚的映像が現れる。]

実際このタイプのことをやってる先生は確かに多いんだけど、
生徒側が「そのプロセスを学ぶ」のでなく「その結果を学ぶ、覚える」になってるから「指導」になっちゃっててみんな同じようで、そして感じてないからいわゆる中身の無い芝居になっていってしまうのでは…と、ちょっと想像してしまいます

この想像力を働かせることの「やり方」を学んで先生が示唆したものを視覚的映像として受け入れたり、自分の好みに合わせて訂正したり、そして見ているってことが大事なんだよね

[こうして、自分自身の想像力が受動的になったり沈滞しないように意識的に努力する習慣が生まれる]
そこの段階がお芝居魅力的な人、上手い人、下手、ただの意図の無い棒のように分けられるのかな〜