『俳優の仕事』第一部
第4章 想像力 6
前回に引き続き想像力を発達させる練習
[「空想のなかで、君は何者であり、どこにいて、周囲に何が見えるかを話してくれた…。今度は樫の老木の想像の中で、君の心の聴覚に何が聞こえるか話してほしい」]と、先生
そして想像するシュストフへ[「想像の中で君が目にしたり耳にしているのは、いつの出来事かね?いつの時代だろう?何世紀のことだろうか?」]と
そして想像を続けるシュストフへ
[「なぜだね?」
「なぜシュストフは樫の木なのだ?なぜ彼は中世の山に生えているのだ?」]と
[先生に言わせると、この質問に答えれば、空想のなかですでに創造された生活にどんな過去があったかを自分の想像力で選べるというのである]
こういうのを考える上で「台本にそうあるから」っていう人いるけどそうじゃないと私は思うんだよね
この「なぜ」はすごい重要で、そう考えるきっかけみたいなのとか見つかるし
役作りだけじゃなくて私は自分のことにおいてもこれやるけど
[一般的に言って、何のために、という問は非常に大きな意味を持っている。こう問われることで、我々は自分が目指している目的を明らかにしなければならなくなり、その目的が未来を暗示し、積極的活動や行動へと駆り立てる。勿論、木には自分で何かをやるという目的を立てることはできないが、行動に類したなんらかの役割を担って、何かの役に立つことはできる」]
こことこの一つの前の節では
[いつ、どこで、なぜ、何のために君が存在しているのか]をこれで明らかにしたけれど、これでは十分でないと先生は言う
[舞台の上では行動が必要だ。課題やそれに対する欲求を通して行動を呼び起こさなければならない。そのためには新しい<与えられた状況>とそれに伴う魔法の<もしも>、想像力を掻き立てる新しい虚構が必要だ]
[自分を無関心な状態から引っ張り出し、興奮させたり驚かせたり喜ばせたりできるのはどんな出来事だろうか、どんな事件を想像すればいいだろうか?]
[もしできないなら、間接的な方法でこの課題を解決してみるとしよう。しかし、そのためにはまず、実生活では何に1番敏感に反応するか答えてもらおう。
君を何よりも興奮させ驚かせ喜ばせるのは何だろうか?想像したテーマとは関係なしに訊いているのだ。
君の有機的自然の傾向を知れば、すでにできている虚構をそれに当てはめることは難しくない。さて、君にとって本質的で、もっとも典型的な特徴や特性や興味を一つあげなさい]
って先生言うけど、これが
生活の中から引っ張り出すというか、実生活を芝居に生かせるように探すってことなのかなって個人的に思う
[想像の虚構は心を動かし興奮させ、行動への生き生きした欲求を呼び起こすことができるということを証明するためだ。
もっとも、主としてこの想像の練習はすべて、役の材料や内的ヴィジョンそのものやそのフィルムがどのようにつくられるのかを教え、その作業が君たちが思っているほど難しくも複雑でもないことを教えるためのものだった。]
こういう部分を「プロセス」として学ばないとなんの力にもならないのに結果だけ、っての「君の有機的自然の傾向」じゃなくて「世間一般の傾向」だから個性が無くなってくのかな…?と
自分の有機的自然の傾向じゃないと、個性を出せない…?
いや勿論人それぞれ合うアプローチ方法は違うとは思うし合う合わないはあるかもしれないけど